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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

大晦日

久しぶりのブログ
 大晦日だから、年の区切りだからというわけではない
書いておかなければ気持ちの区切りができない出来事があったから、今回ブログを更新する

上田建二郎が死んだ
昨日の昼過ぎニュース速報が入ってきた
不破哲三と書いた方が分かる人の多いことは知っている
しかし(BlueSkyでも過去Mastodonでもそうだったように)あえて"上田建二郎"と書きたい

BlueSkyやかつてのTwitter、あるいはMastodonから付き合いのある政治クラスタの人は知っていることだが、私は"アカ"家系の育ちだ
望んでそうなったわけではないが、物心ついた頃には日本共産党支持者だった
党員の二世・三世の中でも極めて素直に育ったクチかもしれない
それほど、早い段階から共産党に帰属意識を持っていた

最初の転機は野坂参三の除名
小学生ながらどっぷり共産党に染まっていた私にとって、名誉議長が党から除名される事態は理解不能だった
党の役職は絶対であり名誉議長は一番偉い人、そう信じて疑わなかった子どもには解釈不能の出来事だった
ただ周りの大人が「野坂(呼捨て)があんな酷いことをしていたなんて」「あれでは除名されても仕方ない」と言っているのを聞いて理解したことがあった
党の偉い人でも間違ったことをするし除名されることもある、と

その後、高校1年の終わりに民主青年同盟に入り、高校3年の終わりに日本共産党に入党した
いずれも親や親戚からは軽い反対をされた中での行動だった
今となっては、なぜ親や親戚たちは反対したのかよく分かる
外から見える姿とは違って、中はどうしようもなく古く腐った組織だったから

大学1年のときの学生支部合宿が、今となっては第二の転機だった
細かい経緯は割愛するけれど、当時の県党副委員長と綱領の文言を巡って論争になった
結果的にその部分はのちの綱領改定の際に削除されたから、私の認識に大きな間違いは無かったと自負しているのだけれど...
でもあのときの支部内、そして青学対担当者の雰囲気に私は大きく失望したし、その失望が離党の要因となった
(あのとき「なぁなぁ」で場を誤魔化し私に引下がるよう匂わせたヒラメの青学対は今、県党の偉い人になっている)

あの頃(四半世紀前)から既に共産党の中では理屈や理論を議論し戦わせることを厭い上の顔色を伺うヒラメが増えていた
本来はイデオロギー政党であり"科学的社会主義"の理論のもとに政策や行動を定めていくべき日本共産党が、理屈や理論抜きの組織に変質し始めていた
それでも、あの頃はまだ上田兄弟が揃って健在だったし、各地の地区委員会にA級講師資格(資本論の講師をできる党内資格)を持った党員が存在した

上田耕一郎が亡くなり、各地のA級講師たちがいなくなり、党内で資本論の講義をするにも大学講師を呼ばなければいけなくなったとき、私は外からその様子を見ながら、そうはいってもイデオロギー政党たる日本共産党は理論をもとに党を成立させるはずだと信じていた

でも...

近年の日本共産党の政策・発言を聞いていてデジャヴしかない
かつての政策の焼き直し、かつての発言の焼き直し
まるで"日本共産党らしい"政策や発言を探りながら動いているかのようで

かつての日本共産党なら、上田耕一郎や上田建二郎が健在ならば、テレビでこんな話が聞けただろうに、と考えてしまう    
社会変革の運動の中でいまという時代をどう位置付けるのか?
人類の発展段階の中で今という時代にもっとも向き合わなければならない矛盾は何か?
GAFAMの可能性とその限界はどこにあるのか?
それは資本主義による限界なのか、それとも...?

理論から現実へ、現実から理論へ
相互の橋渡しをしながら政策を語れる人間がいなくなった日本共産党には終わりしか見えない
少なくとも私にはそう思える

理論なしに「弱者のお気持ちに寄り添う」だけならば、れいわ新選組と何が違うのか?
どう差別化するのか?

上田建二郎の死は、かつて少数政党が乱立した中でも埋没せず生き残り続けてきた日本共産党の、最後の灯が消えた瞬間だと思う

私が物心ついた頃から愛し、そして暗黒の時期の原因ともなり、いま愛憎相半ばする日本共産党
多くの出会いも思い出も、そして人間関係も、党とともにあった
そしてそれらは全て過去の物
寂しさを抱えながら年を越す

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