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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

秋はいつ?

先日、秋の空を感じた(過去ブログ「秋の空」参照)
なのに今日は、ここ数日は、夏に逆戻り
暑すぎる
暑いだけならばいいのだけれど、湿度が酷い






















昔、大学生の頃、合宿免許とるために山形(市周辺)に2週間ほど滞在したことがある
ちょうど花笠の時期でもあって楽しかった
(仙台と隣接市だけどなかなか行く機会がなかった)

山形合宿で一番覚えているのが、夏の日差しを浴びたときに「肌が痛い」と思ったこと
大阪だと湿度が高くて、その湿気がまとわりつく不快さが先に立つ
しかし山形は湿度が低かったために湿気による不快さがなかった
その代わり熱も日差しも痛かった
同じ日本の同じ夏でもこんなに違うんだな、と思ったことを強烈に覚えている


さて
今日も今日とてお仕事はお客様から切り離される痛みの連続で
仕方ない仕方ない、と自分に言い聞かせているけれどかなりの苦痛
今日の昼、BlueSkyでこんな記事が流れてきた
そこにぶら下がっているポストや引用ポストを見て、いろいろと思うところがあった

明日にでも、思うところをまとめてBlueSkyに連投しようと思うのだけれど、かいつまんでここにも書いておく
マル経的考え方では「人間と動物を分けるものは“労働”」なのだそうな
つまり人間とは労働をする生き物である点に他の動物との違いがある、のだと(ホンマか?)
にもかかわらず、なぜ人は労働をすることが苦痛になるのか
それは労働による成果と労働そのものが切り離されているからだ、と
そこから価値論(剰余価値論)の話、つまり「労働によって生まれた剰余価値が資本家に搾取されている」云々の話につながるらしいのだが...
(この話聞いたのって代々木の7階か伊豆の合宿所だと思う)
(私の身近にいた50年党員とかでも、こんな話聞いたことないって言ってたし)
(イデ部で聞いたのかもしれない)

話を戻そう
私自身はいまの事務所で仕事をするようになって、仕事を苦痛だと思ったことはなかった
お客様の役に立つにはどうしたら良いか?
何が役に立つ情報なのか?
その情報を引っ張り出すにはどういった処理が必要か?
そういうことを考えることが楽しくて楽しくて仕方なかった
でも今はかなり苦痛を感じている

ボスなりにいろいろ考えてくれているのは分かる
だから前向きに頑張ろうと思うけれど
お客様と接する機会が失われる中で、まだ見ぬ(潜在的な)うちの事務所のお客様のために頑張る、というのは本当に苦しい
顔が見えない、姿が見えない、声が聞こえない
そんな状況に置かれて、モチベーションを維持するのに苦労している


一昨年の年末にうちの事務所を辞めていった前チームリーダーがふと漏らしていた言葉を思い出す
そのチームリーダーは、うちのチームの仕事だけでなく資産税関係もやっていた
かつてはお客様と直接話をしながら仕事ができたのに、うちの事務所のやり方が変わって、接客全般を副所長が担当する形に変わったことで、仕事の楽しみが減った、と
その話を聞いたときは「そういうもんなのかな?」と思っていたけれど、いまの状況を経験するとその切実さがわかる
そしてまた、ボスが以前ふと漏らした言葉がどれほど痛切なものだったかも、いまになってよく分かる
「担当者のところに電話がいって、俺のところに来ぉへん」と

この仕事はお客様と一緒にやって初めて楽しい
お客様から切り離されるということはこんなにも苦しい
やっぱり私はこの仕事が大好きだし、お客様と一緒に仕事がしたい

いつかの独立を考えたとき、恐怖と不安ばかりが先に立つ
でもお客様と一緒に仕事をする、と考えたら
自分の思うとおりに二人三脚で仕事ができる、と考えたら
心が躍る
やはり私には独立が向いているのかもしれない