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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

ありきたりなこと

 この時期の常ではあるけれど、どうしても書いておきたい
出会いがあって別れがある
新しい職場で働くようになって1年3カ月
何人も辞めていき、その度に別れが辛かった
新しい人が入ってくるワクワク感よりも、辞めていく彼・彼女たちの心のうちを考えてしんどかった
おひとり(或いは2人?)を除けば、未来を夢見ての退職ではなかったはずだ


今月末、一人の子が退職する
入社当初隣の席でいろいろと所内の手続きや流れを教えてもらった
癖のある子だとは思う
まだまだ精神的に子どもだなと思う部分が多々ある
本人としては社会人らしく振舞おうと頑張っているのだろうけれど、それが社会の求める水準に達していないのだと思う
私自身が彼女の隣の席であることに耐えられず、上司に席替えをお願いした
だから他人を非難する資格などない

だからこれから書くことは懺悔だ
「もしかして...」と思いながら、自分の不快感を優先して彼女に手を差し伸べなかった自分の非道さを忘れないための殴り書きだ

ヤマアラシのジレンマ
昨年の12月頭くらいだったか、彼女が事務所の雰囲気に怯えていることに気付いた
怯えているからこそ、事務所の空気・雰囲気に負けまいとして敢えて強気に出ているのだな、と
そして無理に強気に出ることで更に孤独感を深めている、と
本当は誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしいんだろう、と
「ちゃんと成長しているね、えらいね」と認められたいんだろう、と
だが私はそれを言わなかった
それをするのは私の役割ではない、と線を引いて逃げた
私が話しかけると彼女は怯えるから、彼女は泣きだすから、だから私は接しない方が良いのだと言い訳をして、見て見ぬふりをした
あの頃の事務所の空気・雰囲気・陰口を思い出したとき、彼女の絶望感はどれほどだっただろうと思う

彼女はまだ20代半ば
これから先いろいろな人に出会うだろう
うちの事務所で起きた嫌なことは10年もすれば忘れていく
陰口やそれを言った人達のことなど、数年で記憶の遥か彼方に消え去るだろう
学んでよかったこと、反省したこと、出会えてよかった人、感謝することetc.
未来につながることだけ反芻して、前を向いてうちの事務所を❝卒業❞してほしいと思う

何もしなくてごめん
そして、ありがとう

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