人は非常時にこそ本質が出るのだ、と。
「近年の日本企業は野性味に欠ける感もあったため、連日伝えられる臨機応変の対応に励まされる。人の器はこういう非常時に試され鍛えられるのではなかろうか。実際の出来事を基にしたこの映画では各人物が自分の後ろには誰もいない覚悟で職責を果たす。」
この間ずっと迷っていることがある。
私が今のチームでいろいろと手を出しすぎているから、彼女は覚悟が固まらず、結果として顧問先に対する不平不満を当然の如く口にするのではなかろうか?と。
覚悟を固めるしか無い状況に追い込むことで、彼女にこのチームでの仕事の面白さを(強制的に)実感させた方が良いのではないか?と。
ただ、彼女にその“器”があるのか?と不安に思う。
今のチームになって2回目の決算。
昨年の今頃は連日残業時間になると事務所内で号泣していた。
それに比べれば今年はマシだが、その代わり他人(前任者)や顧問先に対する攻撃性が増している。
根本的に人としての“強さ”がないのだろうと思う。
そんな彼女に覚悟を求めたとて覚醒する保証はなく、むしろ折れるリスクの方が高い。
私はこのチームの管理者でもなければリーダーでもないのだけれど。
そんなことをグダグダと考えながら自分のあり方に悩んでいる。
そう言えば、一昨年から昨年上半期にかけての自分のテーマが「来た球を打ち返す」だったことを思い出した。
岸田文雄の姿を見て、そして二階俊博の凄さを見せつけられて、それで選んだテーマだった。
今の自分が課題をクリアできているかは分からないが、それでも以前に比べれば多少は融通がきくようになったかもしれない。(杜撰でいい加減になっただけかもしれないが)
昨年下半期からのテーマは「人との関わりの中で自分のなすべきことを見つける」。
傲慢だろうが、やはり私の根底には母校で徹底的に植えつけられた“エリート意識”があるのだな、と自覚する。
自分に力があるのならば、能力があるのならば、それを必要としている人のために使わなければ価値がない、そう思う。
それこそが、高校3年間「君たちはエリートだ。いずれこの国を動かしていく人材だ。だからこそ、受験のためだけではない知識を学ばなければならない」と言われ続けた意味なのだろう。
話を戻す。
ボスから「(今の法人の仕事)チームが1人になってもやる気あるか?」と尋ねられた。即座に「それでもやりたいです。もちろん、パートさんの手を借りなければいけないときは出てくると思いますけど。それでもやりたいです」と答えた。
根底にあるのは、自分の中にある「満たされなかった子ども」の部分を救いたい想いで、決して崇高な理想を持っているわけではない。
ただ幸いにして、私は今の仕事を通じて、子どもたちを支える人たちを少しだけ後ろから支えることができる立場にいる。だから即答した。(ここだけの話、大好きだった塩崎恭久が里親として活動していることも少しだけ理由にあったりするのだけれど)
これからどうなるかは分からない。
ボス含め、上長sがどう考えどう判断するのか。
当分はまな板の上の鯉。
判断が下されたら、そのとき臨機応変に対応するしかない。
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