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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

血は争えない

 母方の祖父は高知に生まれ、高等小学校卒業後に東京の親戚の家の養子となった
サクラ大戦の主人公・大神一郎と同い年の明治36年(1903年)生まれ
親戚の家は活動弁士で、旧制中学を出してもらい大学にも入れてもらった
そのため学歴だけ見ると祖父は立派な人物のように思える
東京開成中学(現開成高校)卒業から早稲田大学英文学科中退、なのだから

ただし
なぜ早稲田を中退することになったか、が問題で

治安維持法制定前後のあの時代、社会主義運動に足を突っ込んでいたのですよ、うちの祖父は
時代の流れを考えれば、あとの世代から見れば、アホとしか言いようのないことをやった人
当然警察に捕まりまして(東京の水上警察だったらしい)
孫の立場から見ても「頭大丈夫か?」と言いたくなるような無謀さ

地元の名家だったとはいっても没落しつつあり、それ故に彼は養子に出されたわけで
(あと9男4女の末っ子だったので食い扶持減らしの意味も多分にあったと思う)
自身の母方の親戚といっても、彼が養子だったのは間違いないわけで

それで何で社会主義運動に参加した...?

逮捕後、当たり前ですが勘当され、その結果早稲田も中退
高知に“出戻る”ことになったのです

本人も晩年は自身を「癇が強い」と認めていたらしいので、まあそういうことなのでしょう

その祖父が「自分に似ているから気に入らない」と徹底的にきつくあたったのが二番目の伯父
親戚の集まりで見る二番目の伯父はいつも穏やかな笑顔で、私にとっては“威厳があって怖いけどいい伯父さん”
ただし兄弟間での評価は全く違って、母曰く「恐ろしく癇が強い兄」

そして親戚の集まりで伯父達や叔母から散々言われていたことが
「あんたはお父さん(祖父)や昭次郎(二番目の伯父)によう似てる」

いまそれを実感しているところです
自分の後先考えなさ具合は理解していたつもりが
まだまだ甘かった
私の精神のじゃじゃ馬はまだ飼いならせていなかったようです

とはいっても、感情が駄々をこねているだけで、理性は今回の判断を良しとしているので
選んだ道は間違っていないと思います

1年くらい前から何となく予感がしていて
それ故に自分を縛り付けようといろいろ試行錯誤もしたけれど
半年前には「もう誤魔化しきれないかもな」と思い始めて
そしてここ3カ月ほどは限界寸前を行ったり来たりしていたので

今週、次も何も決まらない、決めていないなかで、ボスに退職を申し入れました
アホの孫はアホだったということです
本当に...血は争えないんだなと思います



追記

事務所が嫌になった、仕事が嫌になった、ボスが嫌になった、上長sが嫌になった
そんな理由で退職を申し入れたわけではありません

むしろ私は今の事務所の人達が大好きだし、仕事の内容が大好きだし、お客様も大好きだし、上長sも大好きだし、何よりボスが大好きです
それは何も変わっていません
しかし今の私の「大好き」という感情、そしてその感情から生まれる熱量が、事務所の雰囲気と衝突する未来が見えていた
既に衝突し始めていた
だから辞める道しかなかったのです

社会福祉法人が好きで、宗教法人が好きで、公益法人が好き
そういう私がド変態なのは間違いないでしょう
そして事務所内の大勢を占める「単価が低くて効率の悪いそんなこと(主に社福)やりたくない」空気と、ド変態である私の「大好き」がぶつかりつつあったのです
同じチームの彼女から浴びせられるマイナス感情然り
役職者から言われた「○○さん(私)がそんな事してるから、そんな働き方してるから、みんな社福なんてやりたくなくなるんですよ」という言葉然り
他の人が“効率の良い働き方”を実践してみせてくれるわけでもなく、「社福なんて」「社福なんか」と言われ続ける決算期
自分の中にある公益法人等への想いが大きくなればなるほど、事務所の空気と衝突する未来が近付いてくる恐怖

自分の「大好き」全てを守ろうとしたら、自分が事務所を離れるしかないという結論に至りました
感情は駄々をこね続けています
それでも...この道しかなかったと思います

経営者の資質…?

毎月必ず訪問している担当先がある。
半日ほどお邪魔して、経理事務的なことを会社でする。
その際、社内の会話が漏れ聞こえてくる。
私はあの時間が好きで訪問を楽しみにしている。

数ヶ月前、社長さんが従業員の方に話しかけたときの言葉が忘れられない。
従業員の方はその週末にレンタカーを借りて出張に行くことになっていた。
出張手続やかかる費用について一通り報告を聞き終えたあと、社長さんが軽く一言添えられた。
「気をつけて行ってきてな。無理せんようにな」

それを聞いた瞬間「あ、うちのボスと同じだ」と思った。
そしてこう考えた。
もしかしたら、経営者には父性(母性?)が必要なのかもしれないと。
マネジメント論などという大層なものではなく、もっと根源的な、人間性のようなものがなければ人はついて行かないよな、と。

前述の会社は、いま代替わりを控えている。
次の社長さんが、従業員にとって“理想的な父親”であれば良いな、などと思いながら事業承継を応援している。
側面支援しかできないけれど、良い事業承継になってほしいと強く願う。

公益性

 宗教法人の公益性とは何なのだろう?
ここ半年以上ずっと考えている。
法人税法上の「公益法人等」に含まれている以上、何某かの公益性が宗教法人にはある、とこの国は認めているわけだが、その公益性が分からない。
ボス曰く「宗教法人には聖と俗がある。税法や会計の話は“俗”の部分。だからそこからでは見えてこない」と。

では...と考える。
今現在の宗教法人の“聖”の部分とは?
現代社会において公益性が認められるような“聖”の部分が存在するのか?
そのあたりの議論は宗教家自身が考えることなのだろうが、正直、いまを生きている人々にとって宗教がアクチュアルなものとは思えない。
少なくとも日本社会に暮らす多くの人にとって、自らの生き辛さや孤独と向き合うための方法として、宗教は生きた道具ではないと思う。

だからというわけではないが、宗教の公益性を“聖”の部分に求めるのは、少し違うような気がする。
むしろ加藤紘一がNPO法成立に尽力した流れのように、パブリックな領域としての宗教法人、と捉えるべきなのではないか。
つまり「地上5メートルを浮遊する風船」「自由電子化した人々」を繋ぎとめる役割の1つとして宗教団体や宗教法人を捉え直す方が、法的な恩恵としての「公益法人等」を理解できる気がする。(そしてそれはグロテスクな関係を孕むのだが…)

いずれにせよ
宗教法人、宗教界自体が自らの公益性を証明できない、説得できない今の状況では、いずれ宗教法人法の改正や認定の厳格化などが起きるだろう。
社会福祉法人、公益法人、学校法人...と、この間公益法人等の認定基準や会計基準の見直しが進められてきた流れから考えれば、そう遠くないうちに宗教法人にもその流れがやって来る。
そのとき自分の担当する宗教法人、うちの事務所の顧問先をどう守るか。
宗教法人法の規定を守ることは当然として、それ以上に組織の内部統制をしっかりとさせていかなければいけない。
それが、担当先から煙たがられたとしても、その宗教法人を守ることにつながるのだろうから。

今度こそ「“いい人”でいたい」欲と向き合わなければいけないのだろう。

転変

 昨年の12月半ばに今の家に引越して早6カ月になろうとしている。
その間、本当に色々なことがあった。
特に2月半ばに母と別居することになり、そして4月半ばに完全に決裂して以降、次男坊(キジトラ)と自分のためだけの生活になった。
次男坊くんには申し訳ないと思う。
もともと甘えたで、拾った頃は誰彼となく「グルグル」と喉を鳴らしてすり寄った子。
彼はいつも誰かに傍にいてほしいタイプなのだけれど、私の都合でいま独りのお留守番時間が増えてしまっている。
家にいる間はできるだけ埋め合わせるようにしているのだけれど…。

事務所の中でもいろいろあった。
以前のブロクに書いた通り、チーム内の人間関係でかなり嫌気が差し、ボスに対して本気で「解雇してほしい」と願っていた。
あのタイミングで私が自主的に辞めた形をとれば、当然彼女は居心地悪くなるだろうし、そうなれば早晩彼女も事務所を続けられなくなるだろうから。
(20代の女の子にしたことを振り返れば、何とも思わずむしろ「偉そうな奴が辞めてせいせいした」と陰口叩かれる可能性もあるのだが)

辞めた子に連絡を取り「辞めたことで後悔したことはあるか?」と聞いたりもした。
彼女の答えは「無いですね。良い経験はしました」だった。
そんなもんだろうな、と思う。

結局、私のなかで辞めるか辞めないか、進退伺を出すか出さないか、いま結論を出すのは保留している。

判断を保留し、パートの方と話すなかで、いま自分自身の役割を考え直している。
「もしもボスがいなくなったら、私達はどうなるんでしょうね」「次の体制に私達の居場所があるのか分からないですよね」「この歳からまた無職になるのはキツイな」そんな言葉を聞いた。
彼女たちは私よりもよほど弱い立場に置かれている。
私に何ができるのか?

ふと十二国記のエピソードを思い出した。
『風の海 迷宮の岸』
高里要こと泰麒が自らの王を選ぶ話。
あのとき泰麒は後ろに驍宗がいなければ饕餮に食われていただろう。
驍宗がいたからこそ泰麒は自らの力を使いこなせた。
驍宗もそれを理解していたから「動けない」と言った。

自らを黒麒になぞらえることがどれほど傲慢かは理解している。
しかし今の私の心境としては、こう問わずにはいられない。
―私にとっての驍宗はどこにいるのだろうか?と

自らの殻を破ってでも守りたいと思える人はどこにいるのだろうか?と

もしかすると、既に出会っているのかもしれない

私の転変は既に始まっているのかもしれない


追記
高里要の抱える空虚さや居場所のなさは普通の人が抱えているものとは違う。
それは『魔性の子』で描かれた通り。
それならば…と思う。
人生で既に2度も犯罪に巻き込まれた私はどうなる?と。
両親ですら、私の抱える欠落感の欠片も理解できなかった。
理解のしようがなかった。
両親にとっては育てにくい手のかかる子どもだっただろう。
その意味であの人たちも可哀想な目に遭ったし、巻き込んでしまって申し訳ないことをしたと思う。
私が黒麒であろうと無かろうと、私の欠落感や絶望に巻き込まれた身近な人達の苦しみもまた悲劇なのだろう。

翼があれば?

 何周遅れか分からない話を書く。
『虎に翼』
リアルタイムのときはあまりに盛り上がりすぎていて、私ごときが話題にするのはおこがましい気がしていた。
私はモデルである三淵さんに特別の思い入れもなかったし、裁判官の話にも興味が無かったから。

でも放送されたのがちょうど今の事務所で働き始めた年だった。
まだ20代の女の子たちがうちの事務所で働いている頃だった。
40代の自分が20代の子たちに何ができるのか、それを考えるきっかけになったドラマだった。

最初はオープニングの映像に惹かれて見始めた。
アニメーションで所謂“振り向き”と呼ばれるような、人物が回転する映像を多用するのは珍しく、実写をベースにアニメーション化しているからこそできる映像だな...と新鮮な気持ちで見ていた。
「そうか、実写で撮っておいてそれを下敷きにアニメーション化したら、アニメーションとしてはこんなに新鮮な映像になるのか」と衝撃を受けたのを強く覚えている。
ドラマの内容に惹かれはじめたのは女子部の面々が本科に進み始めた頃。
オープニングの「さよーならまたいつか!」を聞きながら、士業の世界で生きている自分の在り方を考えさせられた。

あの頃mastodonに書いた。
母の高校~住友生命の同期だった女性の話を。
その人が会社を相手に訴訟を起こすとき、我が家までやってきた。
私はまだ中学生で、その人が訴訟を起こそうとしている意味を全く分かっていなかった。
その人は「あとに続く女性のために、少しでもマシな世の中にしたい」と言っていたのに。
女であるという意味を、私はまだ全然分かっていなかった。

『虎に翼』を見て「さよーならまたいつか!」を聞いて、そしてうちの事務所を辞めていった20代の子たちを思い出して、いま思う。
私は恵まれている、と。
資格取得を諦めるしかなかった人達がどれだけいただろう、と。
家族の世話、家事、育児、介護etc.
当たり前のようにケアを期待され、その結果、自ら資格を得て働くことを諦めた人達がどれほどいただろう、どれだけいるのだろう、と。
私の資格は私だけのものではないのかもしれない、と。

5月末で辞めた人に言われた言葉を嚙みしめる。
「税理士になってください。数少ない女性税理士になって活躍してください」
社交辞令であっても、あの言葉は私には重かった。
自分の恵まれた立場を自分のためだけに消費してはいけないと、突きつけられた気がする。

ここ数か月、ボスから何度か登録を進められていた。
私自身も迷い始めていた。
そして今日、また登録を進められた。
来年1月、いまの事務所で働き始めて3年になるタイミングで登録すると、そう約束した。

何が変わるのか、何が見えるのか分からないけれど。
一歩前に進むときなのだろう。

 ~誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
  繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
  貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
  100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!~

財布

台風が接近している。
明日朝、近畿圏に最接近するらしい。
そんな嵐の前の静けさだから…というわけではないが、書きたいことがいくつか溜まっていたため今日は2つ記事を上げようと思う。

先週から何度かボスと話す機会があって、いろいろな話をしている。
もちろん仕事の話なのだけれど、そこから思い浮かぶことは仕事のことだけではなく。

加藤紘一の『テロルの真犯人』の中にこんな記述がある。
“1972年7月5日、福田赳夫氏との激しい総裁選を制し、田中角栄氏が自民党総裁に決定した。その直後の記者会見に臨んだ角栄氏は、居並ぶ記者の1人から以下のような質問を浴びせられた。「国民はいま、7年間続いた佐藤栄作前総理の政治に倦んで何らかの変化を求めています。しかしその佐藤政権で幹事長を務めたあなたは、佐藤前総理とどこが違うんですか?」それは暗に「あなたはしょせん、佐藤前総理の亜流にすぎないのではないか」といわれたようなものだった。すると彼は一瞬にしてキッと居直ったような表情になり、「いいですか、一軒の家でも財布が親父から息子に移ると、やり方も変わってくるんだよ」と答えたのである。その会見をテレビで見ていた私は、「さすがにうまいことをいうもんだな」と心底感心した。”(加藤紘一. テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体 (講談社+α文庫) (pp.95-96). 講談社. Kindle 版.) 

いま私が担当している法人の中には代替わりを数年内に控えているところ、代替わりして数年経ったところがいくつもある。代替わりに伴って契約解除されてしまった担当先もあった。
代替わりが迫ってくるとそれまで見えにくかったゴタゴタが表面化したりして、どこも一筋縄で行きそうもない。
そして上手く代替わりしたように見える法人であっても、ボスの目から見たらいろいろ思うところはあるようで。

そんな顧問先の話をしていて、私の頭の中に加藤が紹介した角栄の言葉が浮かんだ。
―財布が移ればやり方も変わる―
それはそうなのだろう。
避けようのない事実なのだろう。
だが財布を受け継いだ本人はともかく、周囲は急激な変化についていけない。
穏やかに緩やかに変えるか、或いは出血を覚悟して一気に変えるか。
中途半端に変わるのは一番得るものが無いのかもしれない。
そんなことを考える。

周囲の人間の立場ではこう思う。
「大国を治るは小鮮を烹るが若し」
加藤の師・大平正芳が好んだというこの言葉。
翻弄されるしかない立場としては、穏やかに丁寧にしてもらえる方が安心できる。
だがあくまでもそれは周囲の人間の勝手な希望。
穏やかで丁寧な手法が経営者として正解である保証は無い。

いずれ、うちの事務所にもそのときはやって来る。
“財布”がボスから副所長に移る日が。
来てほしくないとどれだけ願っても、時の流れを押しとどめることはできない。
そのとき私はどうするのだろう?
いまはまだ何も浮かばない。
きっと、そのときそのときで最善と思われる道を選ぶしかないのだろう。
その選択がどれほど辛く苦しかったとしても。


追記
私はいまの事務所に入った頃からずっと、事務所の構成や状況を“帝国華撃団”だと思って見てきた。ボスはもちろん米田一基で、副所長は大神一郎のようなもので。
いまはサクラ大戦での「サクラ大戦4-恋せよ乙女-」の時期なのかもしれない。
本当はまだまだボスの背中を仰ぎ見ていたいと思うのだけれど。
それはもう許されないのかもしれない。

限界?

 先日書いたことの流れとして、昨日は限界を迎えていた。
チーム決算の最終コーナー。
うちのチェックミスが散見され、その度に先方に連絡して謝る。
原因を説明しつつ、うちの態勢でどこまでできるか、先方にしていただきたい範囲はどこかを探りながら会話する。
そんなことをこのひと月ほど繰り返してきた。

それと同時に、ミスが判明し原因究明する度に先方への不満や嫌悪を示す同僚(先日の彼女)の話を聞いて宥めることも行ってきた。
彼女の負荷を下げるつもりで彼女担当部門のトラブルを引取り、GWを3日ほど潰して対応にあたった。彼女のためというよりは先方のためであり、ひいてはうちの事務所のためと考えて行った。
ただ彼女の言動から判断して、負荷が下がったことで余裕が生まれて不満や嫌悪感が減るわけではなく、むしろ増大してしまったように見受けられる。
余裕が生まれたことで、上司たちに見つからないところで行うようになってしまった。その捌け口が私だった。
結果としては私の見立てが甘かっただけなのだが、彼女の感情の“吐瀉物”をぶつけられ続けた上に業務としての顧客対応も並行していたことで限界が来てしまった。それが昨日。

さすがに危ないと思ったが、いのちの電話もこころの健康相談統一ダイヤルも生きづらびっとも繋がらなかった。
世の中、ギリギリで踏みとどまっている人の多さを実感した。

結局踏みとどまれた要因は先方との会話。
先方の各部門から電話が入り、決算の進捗状況を伺い対応しているうちに、大波が去って行った。
因果なもので、仕事(同僚)に追い詰められ仕事(顧問先)に救われた。

ボスがかつて書いたブログに「仕事」というタイトルの記事がある。
「緊張感も承認(感謝)もない仕事は、本来仕事とはいえないのかもしれない。」
私にとってあの顧問先は、ボスの言うところの「仕事」なのだろう。
そんなことを考えた。

自宅でリモート作業(別顧問先)をしていたところ、共有PCとの接続が突然遮断された。
原因はうちのチームリーダーが共有PCにアクセスしたため。
連絡を取り、彼にそのまま使ってもらうことで話は落ち着いたのだが。
昨日一日の中で一番ホッとした時間だったかもしれない。
顧問先対応をしているのが私だけではないと実感した瞬間だった。
GW中といい、見えないところでちゃんとリーダーとして動いてくれている彼にはいつも感謝している。
見えないところでやっている分だけ、周囲から誤解されたりもしているが。
淡々と黙々と仕事を進める彼を見習いたいと思う。

臨機応変

今日の日経新聞・春秋欄を見て思う。
人は非常時にこそ本質が出るのだ、と。

「近年の日本企業は野性味に欠ける感もあったため、連日伝えられる臨機応変の対応に励まされる。人の器はこういう非常時に試され鍛えられるのではなかろうか。実際の出来事を基にしたこの映画では各人物が自分の後ろには誰もいない覚悟で職責を果たす。」

この間ずっと迷っていることがある。
私が今のチームでいろいろと手を出しすぎているから、彼女は覚悟が固まらず、結果として顧問先に対する不平不満を当然の如く口にするのではなかろうか?と。
覚悟を固めるしか無い状況に追い込むことで、彼女にこのチームでの仕事の面白さを(強制的に)実感させた方が良いのではないか?と。

ただ、彼女にその“器”があるのか?と不安に思う。
今のチームになって2回目の決算。
昨年の今頃は連日残業時間になると事務所内で号泣していた。
それに比べれば今年はマシだが、その代わり他人(前任者)や顧問先に対する攻撃性が増している。
根本的に人としての“強さ”がないのだろうと思う。
そんな彼女に覚悟を求めたとて覚醒する保証はなく、むしろ折れるリスクの方が高い。

私はこのチームの管理者でもなければリーダーでもないのだけれど。
そんなことをグダグダと考えながら自分のあり方に悩んでいる。

そう言えば、一昨年から昨年上半期にかけての自分のテーマが「来た球を打ち返す」だったことを思い出した。
岸田文雄の姿を見て、そして二階俊博の凄さを見せつけられて、それで選んだテーマだった。
今の自分が課題をクリアできているかは分からないが、それでも以前に比べれば多少は融通がきくようになったかもしれない。(杜撰でいい加減になっただけかもしれないが)

昨年下半期からのテーマは「人との関わりの中で自分のなすべきことを見つける」。

傲慢だろうが、やはり私の根底には母校で徹底的に植えつけられた“エリート意識”があるのだな、と自覚する。
自分に力があるのならば、能力があるのならば、それを必要としている人のために使わなければ価値がない、そう思う。
それこそが、高校3年間「君たちはエリートだ。いずれこの国を動かしていく人材だ。だからこそ、受験のためだけではない知識を学ばなければならない」と言われ続けた意味なのだろう。

話を戻す。
ボスから「(今の法人の仕事)チームが1人になってもやる気あるか?」と尋ねられた。即座に「それでもやりたいです。もちろん、パートさんの手を借りなければいけないときは出てくると思いますけど。それでもやりたいです」と答えた。
根底にあるのは、自分の中にある「満たされなかった子ども」の部分を救いたい想いで、決して崇高な理想を持っているわけではない。
ただ幸いにして、私は今の仕事を通じて、子どもたちを支える人たちを少しだけ後ろから支えることができる立場にいる。だから即答した。(ここだけの話、大好きだった塩崎恭久が里親として活動していることも少しだけ理由にあったりするのだけれど)

これからどうなるかは分からない。
ボス含め、上長sがどう考えどう判断するのか。
当分はまな板の上の鯉。
判断が下されたら、そのとき臨機応変に対応するしかない。

死にたがりの枢木スザク

季節的なものもあり、いつもの“悪い虫”が騒いでいる。
死にたがりの枢木スザク
Blueskyで度々言及してきたこと。

悪夢の始まりだったメーデーとその前後の日々は精神的に不安定になる。
誰に言ったとて仕方なく、どうしたところで過去は変わらないわけで。
できることは、この地獄の季節が過ぎ去ってくれることを祈るだけ。
長男坊(黒猫)という精神安定剤を失って2回目の春。
去年は仕事の忙しさで何とか乗り切った。
今年も同じ手を考えているけれど、難しいかもしれない。
次の手段を講じなければ。
私なりの今年の対応策はチャリンコ。
どうせ繁忙期は毎週末事務所に出勤するわけなので、せっかくだから自転車通勤すれば良いのでは?と考えている。
日光を浴びてセロトニンを作れば、少しはメンタルも回復するだろう、との目論見。
果てさて上手くいきますやら…

この間ずっと読書記録を書いていない。
反省。
そして何より、恩師の言った通りになっているのが悔しい。
敬愛する恩師への“リベンジ”として、4月の課題図書を決めた。
『日本は「右傾化」したのか』小熊英二・樋口直人編(慶応義塾大学出版)

昨年の課題図書として挙げていた吉田茂と岸信介やテロルの真犯人はまた夏頃にでも。
今年は(これから数年間は)鶴岡に行けそうにない。
加藤の命日は加藤の著書を読んで気持ちだけ鶴岡に向かおうと思う。

望郷 土屋竹雨作
 故国山水多清暉
 日帰日帰猶未帰
 一夜夢乘皓鶴背
 遠向明月峯頭飛