注目の投稿

『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

未来

今日、熊本の女の子とランチに行った
約2年ぶりの再会
事務所を辞めたときよりも、少しだけ穏やかな顔になっていた
彼女の今の状況、これからの人生設計を聞いていて思った
「未来に向かってまっすぐ歩いていけ!」

もちろん、彼女の言動全てに同意している訳ではないし、彼女が仲良くしているうちのチームの前リーダーについても、私は含むところがかなりあるのだけれど
でも若い子が未来を語り、そして希望を持っている姿を見るのは、やっぱり気持ちが良いなと実感した

彼女は社会人になって初めてのお盆休みらしく、休みを満喫中でランチタイムをオーバーしそうになり、私が断ち切るような形でお開きになったのが申し訳なかった
また今度、ゆっくりと一緒に食事したいと思う

お盆というのは本当にいろんな人の出入りがあるもので
この2年8カ月、ずっと会ってみたい、ご挨拶したいと思っていた人にも今日は会えた
ようやく会えて、そこでの挨拶が「もうすぐやめてしまうんですけど…」だったのが残念だった
本当はもっと違う形でお会いして挨拶したかった

きっとみんな未来を見て歩いているんだろう
日々のなかにささやかな希望を抱いて
日々のささやかなことに喜びを見いだして



他人の人生は他人のもので
私の人生は私のもので
妬み羨んだところで何も変わらない
私の苦しみが外からは見えないように
他の人の苦しみは私には見えない
だから
未来に満ち溢れているように見える人たちも、きっと苦しみもがいているのだろう

いま頭の中を『祭りのあと』が流れている
でも私は笑いたくない
「昨日の夢は冗談だったんだ」と笑いたくない
たとえそれが叶わなかったとしても、それでも信じ続けられる人になりたい
夢も希望も未来も、そして大切な人も
笑わずに信じ続けられるようになりたい
いつかきっと

〜人を怨むも恥ずかしく
 人をほめるも恥ずかしく
 なんのために憎むのか
 なんの怨みで憎むのか
 もう眠ろう もう眠ってしまおう
 臥待月の出るまでは

 日々を慰安が吹き荒れて
 帰ってゆける場所がない
 日々を慰安が吹き抜けて
 死んでしまうに早すぎる
 もう笑おう もう笑ってしまおう
 昨日の夢は冗談だったんだと〜

番宣

同窓会から宣伝しろとグループLINEで回ってきていた
7月に連絡が来ていてそのまま放置して、今日が放送日
私はリアタイする気なく録画だけはしておくのだけど

愛校心ゼロの人間だけど、一応紹介しておこうかなと思う

-------------------------------------

こんにちは 
本格的な夏がやってきました。
8/12にNHKで特集ドラマ「手塚治虫の戦争」が放送されます。
製作にあたり、高校や六稜会館にも取材がありました。
企画演出の方から、卒業生の皆様にもぜひご覧いただきたいとのご連絡がありましたのでご案内します。
放送予定等はこちら
https://www.nhk.jp/g/blog/yh96pc6mnkx2/

※お知らせ
8/11~16は夏期閉館となります

8月イベント案内

(*)8/15(土)14:00~
六稜トークリレーRP(配信のみ)
※8月は配信のみで六稜会館では実施いたしませんのでご注意ください
「北野の暗黒時代~戦火をくぐった精神遍歴」
故三島佑一さん@60期(作家/四天王寺大学名誉教授)
詳細はこちら
https://www.rikuryo.com/talkrelay-notice/
配信はこちら
https://www.youtube.com/@talkrelay/streams

-------------------------------------

探せば、高校時代に自治会室の前から撮った旧本館の機銃掃射跡の写真もあるはずなんだけど
お守り代わりに事務所に持って行ったままかもしれない

機銃掃射跡の写真は、そのうち探してここにアップしようと思う
同期の“彼”のために植えられた桜の苗木の写真とともに、“彼”の25回目の命日である9月11日にアップしようと思う
愛校心はないけど、あのときの生徒自治会での経験が、今に繋がっているから
そして私の中にある芯をあらためて確認したいから

仕事とは

ちょこちょこ見にいくサイトがある
ビジネス関係に分類されるのだろうが、私は“人としてのあり方・考え方”を学ぶ気持ちでいつも見にいっている
今日も久しぶりに見にいき、そして今の自分に響いた記事が2つあった

仕事自体に楽しさを見出す | 課長の予備校 https://kachonoyobikou.com/6013/
インプットとアウトプット | 課長の予備校 https://kachonoyobikou.com/6018/


ここ最近の自分の投稿を見ていて思う
過去の遺産や個人的な感情の吐露だけでブログを書いているな、と
仕事のことも、自分がこれまで感じてきた“楽しさ”や“報われた”想いを具体的に言及していないし
ただ感情を吐露するだけならばBlueSkyで十分だよな、と

表のブログの記事が進まない原因もそれだ
何かを書こうとしたとき、自分の中にある素材の未熟さを痛感させられる
素材をただそのまま出すだけならば、読む人にとって何の意味があるのだろう?と思う
楽しく仕事をしているつもりでも、結局人に見せられるほどには内容をブラッシュアップできていない

同時に、税務や会計の処理について迷っている人にとって(自分もその一人だが)、他の人が先に迷い悩んだ結果出した結論を見つけることは、1つの手掛かりになることも間違いない
それがただの素材であったとしても
だから、自分にとってはただの素材でも記事として公開することに意味があるのではないか?とも考える

こんなことをグダグダ考えて表のブログが進まない
もちろん、具体的なことを書くと仕事の詳細に触れてしまうので書けない、というのもある


最近は自分の中の言葉や思考が枯渇してきているのを感じる
本を読んでいないわけではない
仕事の必要に迫られて、ひと月に2~3冊は読んでいる
それでも、思想も思考も言葉も全てが貧弱になってきている
原因が仕事に必要な本ばかりを読んでいるからだ、というのも理解している
(大学の恩師の言ったとおりになっているのが癪で仕方ない)

初心に戻ろう
幸いにして引継ぎも順調に進んでいる
あと1カ月半、仕事以外の本を読む時間くらいとれるはずだ
まずは4月の課題図書だったはずの『日本は「右傾化」したのか』小熊英二・樋口直人編(慶応義塾大学出版)kindle版から手をつける
そして9月17日発売の十二国記シリーズ最新刊の『幽冥の岸』も


手持ち2社の決算が終われば、あとは本当の残務整理
ボスからの宿題を進めながら、いつかの独立のための準備を整えながら
そして、その先にある小さな夢にかすかな希望を抱いて
自分のすべき仕事、報われる仕事、そして為すべきことを問い続けていきたい

リスタート

大したことではない
表のブログをこのアカウントから完全に分離させた
BlueSkyからはこちらに来れるが、こちらからBlueSkyには行けない仕様になっていたし
もしもコメントを書き込まれても、表とこちらのアカウントが一緒だと返信が...
かなりの不都合があったため、実はコメント欄の閉鎖も検討していた
結構不便を感じつつあった

そんな訳でブログの完全分離作業を帰宅後ずっとしていた(アホ)
貴重な祝日の前夜をこんなことで潰すとは...
完全分離記念に、いつもならBlueSkyの方で書くネタを

ここ最近、ふぐすまの社長さん ┃ ̄皿 ̄┃(@robo7c7c)の雰囲気を見ていて、そろそろ政治の季節かしら?と感じ始めている
内閣支持率も下がり始めてきたしねぇ
いい加減「パンとサーカス」のサーカスをやってほしい
自民党お得意の政治ショーを
「あんたが大将なんだから!」とか
大好物なんですけど、わたくし(性悪)
さっさと派閥復活させろ
「新しい資本主義研究会」とか胡散臭い名前いらないから宏池会復活させろマジで>文雄


とまぁネットスラングで遊ぶ感覚はおいておくとして
ロボ社長すらが宗教法人関係のニュースをリポストし始めているのは、さすがにちょっと...
本邦国民の宗教嫌いは根深いだけに、ちょっと怖いな
税収とも絡んで、政治家が煽れば一気に動きかねない
そして今の総理総裁様はある意味“アカ”だからやりかねん
権力維持のために、なりふり構わずやるかもな

そうならないことを祈るが...

長崎原爆忌

今日は長崎に原爆が投下されて81年の日
広島の原爆ドームには何度も足を運んだが、長崎の浦上天主堂にはまだ一度も行ったことがない
大浦天主堂もまだ

父方の祖母が長崎(天草)の出身で、父方の叔母もいま住んでいるのだけれど、長崎や鹿児島(父の生まれ故郷)にはずっと縁がない
自分のルーツの半分なのに
ただ、故郷に縁遠くても、父方の血を引いているなと感じるときは多い
特に自分の信心に関しては

保育所から小学校低学年くらいまで、毎年夏休みになると岐阜の父方祖父母の家に2~3週間預けられた
普段母方の祖母が私の面倒を見てくれていたから、父なりに義母に気を遣って、長期休みの世話は実家の両親に頼んでいたのだと思う

祖父は軍人恩給を貰っていた
徴兵されたあと、そのまま志願して軍隊に残ったために軍人恩給をそれなりに貰っていた
軍人恩給は家計としては助かったのだろうけれど、祖父はいつも軍隊の記憶で苦しんでいた
夏休み、8月ジャーナリズムで戦争の話が繰り返される季節
いまと違って40年ほど前は、戦争の加害の歴史を取り上げた番組もよく組まれていた
だから祖父はその時期、高校野球ばかり見ていた
故郷の鹿児島県勢を応援していた
戦争の話、戦争のニュースが流れると、すぐにチャンネルが変わった
それでもたまに耐えきれなくなって、突然親鸞聖人の話をすることがあった
祖父の部屋には吉川英治の全集や親鸞の本が並んでいた
祖父は他力本願と悪人正機の教えに縋るしかなかった
南方から引き揚げてきたとき、彼は20代で法名を得たらしい
(結局、祖父が亡くなったとき生前の法名を探したけれど見つけられなくて、もう一度法名をいただいたんだけど)

祖父の影響が大きかったのだと思うけれど、大学の一般教養で「歎異抄を読む」という講義を受講した
他力本願の意味、悪人正機の(仏教的)特異性、そして弥陀の本願の解釈
それを大学の一般教養で軽く勉強した
私はその意味で、門徒でありながら門徒ではないのだと自認している
教団の教え、組織の解釈に染まる気がない信者だから

祖父の苦しみ、宗教に縋るしかなかった彼の絶望を近くで見た人間として、宗教の本質的な意味は彼のような人のためにこそあるのだろうと思う
宗教が社会から求められている役割は、苦しみや絶望を理解しやり過ごすための手段の提供なのではないのか(苦しみや絶望を乗り越えられるとは思えないし、だから言わない)
ある意味、認知行動療法の実践版とでも言えるかもしれない
苦しみの中に入っていけない説教、絶望を外からなぞるだけの法話に何の意味がある
そんなことを考える

長崎の地で禁教令に耐えて信仰を続けた人たちの上に、同じキリシタンから落とされた原子爆弾
その不条理を思うとき、こういった世の中の理不尽と向き合うためにこそ宗教はあるのではないのか?と強く思う

今も世界では、そして日本でも、不条理や理不尽がまかり通っている
声も出せないままに苦しんでいる人、声すら奪われた人がいる
宗教の役割がなくなったわけじゃない
宗教家といわれる人達が“宗教屋”になっているだけだ
信仰とは、教えとは、宗教とは、定まったものをただそのまま口伝する行為ではないはずだ


❝浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし❞
❝外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ 貪瞋邪偽おおきゆえ 姧詐ももはし身にみてり❞
❝悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる❞

そろばんの日

今日はそろばんの日なのだそうな
事務所の日めくりカレンダーに書いてあった

そう
今日も事務所に土曜日出勤してきた(一応今日は2時間チャージした)

朝8時から歯医者の予約を入れていて
まだ辞めると決める前に通い始めたから、事務所に比較的近いところにあって
どうせ歯医者にいくんだから事務所にも出たらいいやと思って、ずっと土曜日に予約を入れている
次の事務所も地下鉄乗換があるだけで、今と通勤経路は途中まで同じだから
歯医者を変えずに済みそうなのが安心材料
ということで、朝から麻酔打ってもらって治療を1時間ちょい受けてきた

歯医者を終えてから事務所に出て
幸いボスがいてくれたから、今後の処理の進め方を確認できたということもあり
昨日送ったメールに早速返信してくれていた社長さんのおかげで、某社の月次処理を進めることができた
あの会社には特別思い入れがあって
事務所に入って1月ほどしたとき、ボスに連れられて担当者として初めて会社訪問した相手
2度目の月次報告のとき社長さんを激怒させ、私も売り言葉に買い言葉でキレて、最終的にボスにとりなしてもらった相手
その後、なんとか先方の要求する水準を満たそうとやってきたなかで、いろいろと気付かされたこと成長できたことが沢山あり
だからこそ、退職が決まったとき、まだ退職日も決まる前にまず最初にお伝えしたいと思った相手
書き始めたら止まらないほどの思い入れがある(だから今日はここまでにしておく)

事務所では月次処理と雑用を済ませて、昼過ぎには地元に帰ってきて美容室でカット
本当は先週が予約日だったのに、成分献血で思いのほか時間がとられたせいで献血ルームから予約キャンセルと再予約を入れた結果、今日のカットになった
(先週は献血ルームで暇して、宗教法人の信者数とか真宗教団連合のHPとか眺めてたド変態)

そして…夏は日が高いから、やってしまった
「まだいけるだろ」と思って、美容室終えてから三宮のセンター街まで出かけてしまった

私がセンター街まで行ってジュンク堂に寄らないはずがなく
ジュンク堂に行っても5階の専門書コーナーに行かなければいいのだけれど
よほどの自制心を持って行かなければ、まず間違いなく“体が勝手に...”で5階まで上がるわけで
そして専門書コーナー見てたら、当然買いたい本が見つかるわけで
今日も買ってしまったよ5冊も
母が同居してたら小言の1つや2つは覚悟しなければいけなかったな
本を買うという行為そのものよりも、家の中に重たいものが増えるのが嫌だったから、あの人は

とりあえず、前から買いたかった法人税の基本通達逐条解説12訂版を確保
そしてNPO法人会計に関する本や宗教法人会計に関する本、保育園に関する会計・税務の本で計3冊
あと『集団浅慮』という面白いタイトルの本も
最近は仕事以外の本を買わないように意識しているんだけど...買っちゃうんだよなぁ
(そもそもこの1年以内に『〈民主〉と〈愛国〉』買ってる時点でヤバいし、読み終える気がしない)
本当は仕事に関わる本でもっと買いたいものがあったんだけど、予算と持って帰るまでの重さと、そして家の中の置き場所の関係で断念した

算盤の日、なのに
渋沢栄一が飛んで消えていく1日だった



追記
今日のことを思い返していて記録として残しておきたいことがあったから追記する

私は去年こう書いていた(過去ブログ「甘えと悔しさ」参照)
自分の仕事を振り返ったとき、チラチラと自分の仕事に対する甘えが見えるわけで
そしてそれは大概ボスに見破られるのです
1,2カ月に1度くらいの頻度で起きる定期イベント
毎回毎回のたうち回るくらいに悔しく、夜寝るまでずっと引きずる」

この頃、間違いなく私は1カ月に1度くらいのペースでボスからの指摘でのたうち回っていた
自分の甘えが情けなく、そしてそれをボスに指摘されたことがあまりにも悔しくて

今日、私はボスにこう言った
「なんか投げやりになっていませんか?」と
その真意は、もっと前のように私の甘えや処理漏れを厳しく指摘してください、という意図だった
退職する人間にボスがそこまでする義理はないのだけれど
それでもお客様のために反映できることがあるならばぜひ指摘してほしくて、それでそう言った
でも何もなかった
そのとき私は納得できなかった
その理由は、以前ならば私に抜けている視点を必ずボスが示してくれていたから
私にとってボスはそういう人だったから

いま、ふと感じている
私は、ボスと私との視座の高さの距離はずっと一定だと思っていた
見えている世界の解像度も、ずっと同じ一定の距離で遠いのだと思っていた
私はずっとボスを仰ぎ見るだけの存在だと思っていた
でももしかしたら違うのかもしれない
もしかしたらほんのごく一部の分野では、ボスの見ている世界に私が近付いてしまったのかもしれない

もしもそうならば
私にとっては大きな痛みを伴う事態だ
“坂の上の雲”を見上げているだけでは済まなくなったということだから
でもこうも思う
「この分野ならばあいつに背中を預けてもいい」そう思ってもらえる存在になりたい、と

私の本心の野望は、実はもっと大きいのだけれど
阿弥陀さんにとって代わって、衆生を救いたいと思うほどの野望を持っているのだけれど
とりあえず、現実的な目標は慎ましくしておく

痰壺

辞めると決めたのは私だ
組織が、残る人間を守るのは当然だ
だから何を言われようと、どんな扱いを受けようと受け入れなければならないのだろう

ならば…
辞めると言い出す1月近く前(5月21日)から、まだ事務所で続けていくつもりだった頃に、かなり限界が近いこと、その原因が特定の人間であることをちゃんと伝えてたのに放置された私は
ちゃんとボスにLINEで伝えてたのに放置された私は
去年の10月頃にはボスも含めた上長sに「チームがチームの体を成していない!うちのチームは2人だけだ!」と直訴していたのに

私が強いから?
大丈夫そうに見えるから?
お客様のためならどんな我慢でもするだろうから?

私はあのときどうすれば良かったのだろう?
「彼女を排除しろ!」と叫べば良かったのか?
「お客様の悪口や罵詈雑言をチーム内で彼女に言わせるな」と上司に頼めば良かったのか?
それとも彼女自身に「この仕事やりたくないなら事務所辞めろ」と直接言えばよかったのか?
私にどんな選択肢があったんだろう?
何をどうすればこの結末を回避できたのか、私には分からない


世の中には守られる人と守られない人がいる
そういうことだろう
飲み込むしかない
この世のヘドロを吸込み痰壺になる覚悟を持つしかない


私は“守られる側”にはなれない人間
最後の最後で「君は大丈夫だよね」「お前なら大丈夫」と
手を離されて、その度に諦めが積もっていく
親からですら

“守る側”に回ってしまうのは習い性
祖母を守ることを期待され、親を守ることを期待され、家を守ることを期待され
守られる方法が分からない


きっと
人は皆、自分のことに精一杯で
手を伸ばせないのは当たり前で
あのとき手を伸ばしてくれた西田さんが、どれだけ貴重だったか
そういうこと


お客様のことだけを考えたいけれど
無理かもしれない

事務所の隅で息を潜めるだけで許されないのならば
これ以上あとどれだけ耐えれば許されるのだろう
私という空っぽの器は、あとどれだけ


分かっていたはずだ
機能としてのみ存在すべきだと
人生に、人並みの何かを期待してはいけない、と言い聞かせてきたはずだ
もう一度言い聞かせよう
ちゃんと人間のふりをするために

広島原爆忌

81回目の広島原爆忌
もしかしたら、家族とともに住んでいたかもしれない街
結局そうはならなかったけど
圧倒的に良い思い出の多い街

市民球場のバックネット裏で見たシーボルの満塁サヨナラホームランはよく覚えている
(あんまし活躍しなかったけどな、シーボル)

もしも…を全く考えないわけではない
あのとき違う選択をしていれば、全く違う人生を歩んでいたのだろうと考えるときもある
もしも…の人生が幸せだったかは分からない
メーデーの日から続いた悪夢を経験することはなかっただろうけれど、その代わりいま経験している幸せや苦しみや悩みとも無縁の、つまらない人生だったかもしれない
そう考えれば、今の、苦しみや悩みにのたうち回りながら、ささやかな夢や希望を頼りに生きている人生の方が“私らしい”と思う

今日もまた、大切な仕事から引き離された
これがここからずっと続くのだろう
退職の日まで
事務所の隅で息を潜めて、ただお客様と次の人のためになりそうな資料を整理する日々が、あと2ヶ月近く
耐えるしかない
強くなりたい

「裏切られてもいい」と言えるだけの強さがほしい
人の気持ちに流されず、好きなものを「好き」と言える強さがほしい
そして、愛しい人・もの全てを守れる強さがほしい
力ではない強さが

“強い国 (儚い夢)
鋼の力 (優しい心)
あーわたしは 強く(優しく)
ありたい
強い力は 優しさを知って
使わぬ力が 強いとわかる
愛も 憎しみも 力も夢も
涙となって 流れて消える
​すべては海へ”
(『劇場版・すべては海へ』作詞:広井王子)


追記
Nスペを見ている
戦後(宮様総理を除けば)最も短命だった内閣総理大臣・羽田孜
こんなにも原爆ドームの発信に前向きに取り組んでいたとは知らなかった
文化庁がこんなにもギリギリの綱渡りをしていたとは知らなかった
かつて、衆議院議員会館で一度だけ羽田孜とすれ違ったことがある
私が勝手にイメージしていたよりも背が高くて、その存在感に圧倒されて、「これが一国の総理を務めた人間なんだ」と印象に残った
いまNスペで、30年以上前の日本の政治(広い意味での政治)の議論を見ていて、あまりに懐かしく
そして今から振り返ってあまりに切なく
私の知る自民党、私の知る“保守本流”はこうだった
…先の大戦はかくも遠くなった

区切

今日、一番手放したくなかった担当先に退職の挨拶をした
泣かなかったけれど、何度か泣きそうになった
感謝しかない
言葉で表しきれない思いばかりだ
でもしんみりさせるのも違う気がして
それで泣けなかった

来年の桜の季節のバザーには必ず行く
“葉桜バザー”だと苦笑いされていたバザーに、来年こそ参加する
子どもたちが元気にしているのを見たいから
支えている人たちに、もう一度会いたいから
私にとって特別な法人だから
私の進む道を、進みたい道を教えてくれた人たちだから
だから来年は参加する

私はいつも勉強させてもらってばかりで
何かを返せた気がしなくて
ただただ有り難さに感謝するしかなくて
何度も頭を下げたけど、全然足りなくて
申し訳なく、情けなく…

昨日の法人も今日の法人も
私にとってはずっと“報われる仕事”だった
いまの事務所でやってきた仕事全て、私は常に報われていた

入って1ヶ月にもならない頃に任せてもらった法人
退職の報告も1番最初にした
月次で報告する内容や処理は定型化してきたけれど、もっと経営判断に役立つ分析ができるのではないかと、今でもちょくちょく考えている
会計で少しでも役に立ちたくて

今日退職をお伝えした法人
残されるチームの負担も考えるけれど、でもできるだけ先方のためになることをしてから辞めたい

私は本当にお客様達が大好きだった
そして本当によくしてもらった
これ以上を望めないほど愛して止まない人達
今はまだ生傷で血が流れているから、書く言葉の全てが哀しみの色になってしまう

来年の桜の季節
少しは笑っていられるだろうか
泣き笑いでも、少しは懐かしむことができているだろうか

まだ私の心は暗闇の中で
この先に明るい未来が本当にあるのか信じられなくて

それでも進むしかない
最期の瞬間に「私はやれるだけのことをやりきった!」と言い切れる人生にしたいから

感謝

「人はね、景麒。真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るものではないだろう。」

この言葉をここ1ヶ月以上ずっと頭の中で繰り返している
十二国記の慶東国王(景王)陽子の言葉

私はもともと「年長者だから」とか「先輩だから」とか「地位が上だから」とかで頭を下げるタイプの人間じゃない
一応は形式的に頭を下げたりするけれど、腹のなかで舌を出していたらそれが態度に出てしまうタイプ
面従腹背ができない人

だけど、最近は常に頭を下げたい気持ちになっている
有難い縁に対して
私にとって奇跡のような出会いと縁と、そしてこれまでの日々に対して
特にお客様たちに
感謝という言葉では全く足りないほどの想いがある

これまでも節目節目で良い出会いに恵まれてきたと思っている

小学生のときの乾先生には九九の暗記に付き合ってもらった(学年で暗記が一番遅かった)
あれがなければいまの私はない

中学のときの近藤先生からはノートの取り方を叩き込まれた
一番大事なポイントは赤、次に大事なポイントは青、それ以外は黒、と
税理士試験のときもこのルールを徹底して守った

高校のときは吉田先生や黒田先生といった生徒自治会の顧問達や倫理のセイドー、そして三輪先生
自治会顧問の先生達には、先輩として温かく私たち(かなり破天荒だった)自治会執行部を見守ってもらったし、セイドーには「もっと思考を深めろ」といつも発破をかけられた
三輪先生には経済学部への道を開いてもらった
父親の大反対で高2の夏に文転させられ、正直勉強にやる気が出なかったとき、三輪先生から森嶋通夫の『イギリスと日本』を勧められた
文系でも数学の知識は必要になるし、経済学は面白いと思うぞ、といって

大学の恩師もそうだ
さんざん揶揄われたような気もするけれど…
経済学部であんな滅茶苦茶な本を読むゼミにいられたことは幸運だった
(『我が闘争』や『種の起源』を読む経済学部のゼミはうちくらいのもんだと思う)

そして社会に出てからの西田さん
命を繋いでもらった

いま、うちの事務所のお客様達に出会えたのも、これまでの積み重ねがあったから
お客様に命を救われたのも、全ては何かの縁
もちろんボスや上長s、同僚達にも縁があって
こうやって出会えたことに感謝している

今回の出会いと別れもきっとどこかの縁に繋がっていて
そして縁があれば、また再び道を共にすることもあるのだろう
(私は運命論者ではないので、「勝つつもりで戦う」のだけれど)
(縁は必ず手繰り寄せる気でいるのだけれど)

明日、いっぱい頭を下げてくる
感謝を込めて
あの人たちの幸せと子どもたちの未来を祈って
そしていつか、またお会いできる日が来ることを願って

センチメンタルな……?

今日で熊本の地震から1週間
避難や支援のフェーズが変わる頃
彼女に連絡した
彼女のご家族もお家もひとまずは無事だったらしく
本当にホッとした

熊本の子は頑張り屋さんなんだけど年頃なりの不器用さもあって、それがトゲになって周りをチクリとするところもあって
同い年、隣同士の席で、静かに彼女たち双方が苛立ちを感じている雰囲気に、ハラハラしながらも「この年代はそんなもんだよな…」と思って見ていた
2人とも可愛らしく、いじらしい子たちで
私はもっとあの2人を見ていたかった

そして今日もう1つ
自分なりに一生懸命やったけれど、思った結果が出なかったあるお客様から
「ずいぶんと頑張ってくれたと聞きました」と
「ありがとうございます」と
「担当になってもらって良かった」と
感謝すべきは私なのに
頭を下げることでしか気持ちを伝えられなかった
感謝をどれだけ言葉にしても全然足りなくて

2年半担当をしてきた社会福祉法人の方からも温かい言葉をいただいて
感謝しかできなくて
あまりにも有り難くて
申し訳なくて
来月の訪問時に泣かずに乗り切れるかな

もっとやりたかった…という思いがずっと燻っている
もっと何かしたかったという思いも、もっとやれたはずだという思いも


明日、泣かずに帰ってこられる気がしない
号泣しなければ御の字だと思っている
それくらい特別な思い入れのある担当先訪問
辞めるということはこういうことなんだと、毎日突きつけられている

いつか思い出になって懐かしむ日が来るのだろうけれど
いまは先が見えない

新しいスタート

新しい月だからということもあって、表のブログに記事をアップしてきた
疲れた

本格的な1本目は消費税の非課税取引について書くつもりが、いざ書こうとすると「税金とは」という話になってしまった
全然税務や会計の話に入れていない
反省だ

反省と同時に、自分の興味関心は放っておくと「租税法」や「財政学」に流れていきそうな人間なのだと気付いた
つくづく、もっと早くに気付いておくべきだった

アカデミアにいた伯父に財政学を教えてもらいたいと思った時期もあった
実際伯父からは「暇してるんやったら、金沢まで遊びに来てくれたら教えたる」と言ってもらっていたけれど
その頃は「暇してる」わけではなく、専念の税理士試験受験生だった
10数年前の話だ

いまやその伯父も92歳
昨年自宅を訪ねたとき、やはりある程度の老いを感じた
(それでも普通に日経を読み下してたところはさすがだったけれど)

いま、下手に「財政学に今さら興味を持っている」などと言おうものなら、あの家に山積みになっている本を渡されるのが関の山だ
だから絶対に口が裂けても言えない

自分はこうやって後悔ばかり繰り返して生きていくんだろうなぁ

せめて一番上の伯父と二番目の伯父が生きているうちに税理士登録したいと思っている
あの2人に、姪っ子としてできる“親孝行”はそれだろうから
間に合うかな...


追記
「麒麟も老いては駑馬に劣る」という言葉がある
それはそうなのかもしれない
ある程度は真理なのだろう
だが昨年伯父に会ったとき「いまの自分がいまの伯父を越えているか?」と考えて無理だと感じた
頭の回転だけを取れば超えている部分もあるかもしれない
しかし、経験で補われる部分も含めた総合力で考えれば、私は伯父の足元にも及ばない
そして同じように“敵わないな”といつも思っているのがボス
いつかは追いつきたいのだけれど
その「いつか」は一体いつ来るのやら...

あと2ヵ月

連日のブログ更新
意図していたわけではなく、昨日はただ怒りに任せての書きなぐりだった
そして今日は意図して、区切りとして書く

この事務所にいられる時間もあと2ヵ月
放っておくと様々な想いが込み上げてきて泣きそうになる
引継書を作っていて、先方とのやりとりを思い出して泣きたくなる
どの法人にも、どの人達に対しても消えない想いがあって
私は、本当にうちの事務所のお客様達が大好きだったんだと痛感する

前にBlueSkyで書いたかもしれないのだけれど...
私がなぜボスを信じられると思うようになったか
それはお客様からボスへの信頼を感じたからだ

企業経営者はシビアだ
孤独だし、その背中には大勢の生活を背負っているし
人生を賭けているし、場合によれば命だって賭けている
そんな経営者達が、それも長年経営やっている人達が、あそこまでボスを信頼している
だから私はボスを信じられると思った

私は自分の人を見る目の無さは自覚してて
だから自分の判断をあてにしていない
でも、これだけの数の経営者が頼るってことは信じていいだろう、と思った
そして今、やっぱり経営者達の目は確かなんだなと思っている

私が引継ぎで手放していった法人の経営者、代表の方々
人だから当然クセはあるけれど、どの人も根はすごく真っ直ぐな人たちで
イラっとすることがあっても、でもすぐ流せる程度のことばかりで
そういう人達がお客様として集まっていること自体が凄いこと
きっとボスの人柄や“人徳”のなせる業なのだろう
(現パートナーの1人が、かつてボスをそう評していた)

ボスのいる世界、見ている世界は、私には到底たどり着けない世界で
それでも、自分もこれからの人生で自分を磨き続ければ、もしかしたら少しは近付けるかもしれないと思わせてくれる不思議な存在
その姿を近くで見られるのもあとわずかだ
あの真っ直ぐな背中を後ろから追いかけられるのもあとわずか

本当ならばもっとずっと見ていたかった
背中を追いかけて、仰ぎ見ていたかった
自分からその関係を手放した人間が言って良いことではないのだけれど

「もしもあの日に戻れたとしても 同じ道を辿ったことだろう」
いつかそう言って笑える日が来るように
選んだ道が正解だったと言えるようにするしかない

これから2ヵ月
(もしかしたら退職してからも)
たぶん毎日半ベソかきながら過ごすんだろう
泣きながらでも進むしかない
その先に小さな夢が叶う日が来ると信じて

思い出話

今日、本当にむかっ腹の立つ出来事があって、完全に腸が煮えくり返っていて、それでボスと副所長に直接伝えた
(巻き込んだうちのチームリーダーごめん…)

うちの事務所はいろいろと細かいローカルルールが多い
各人別のローカルルールなのか、それとも事務所全体のローカルルールなのかも分からない
長くいる人たちは平気で「これがうちの事務所のルールよ」と言うけれど、でも更に長くいる人に聞いたら「それね、前は無かったけどいつの間にかできたの」とか言われたりする
つまり新しく入った人間にとって、ローカルルールを身につけるだけでかなりメンタル削られる
1回1回は大したことなくても、溜まってくるとかなり削られる
言いたくはないが伏魔殿だ

それでいて、新しく入った人間に誰かが教えるような仕組みもない
教えていくのはあくまでもそこにいるメンバーの善意と、仕事を回すための要請からだ
かつてはメンター制があったらしいのだが、それをやめて久しく、そして長くいる人というのはメンター制時代に居着いた人達のようだ
(なんたる不条理)

そして「Qが無ければAは無い」という言葉を金科玉条のように振りかざす
つまり、分からない側から聞かなければいけない、のだと
聞かれなかったから教えなかっただけで、教える仕組みを作らなかった側には落ち度はない、らしい
(クソったれだ)
(毛語録でも掲げて「造反有理」とか言っとけ、マジで)

久方ぶりに宮城県の副委員長と喧嘩したときのことを思い出した
「我々は前衛であり、それは科学的に証明された事実だ」
「前衛政党の党員として、後衛たる民衆を啓蒙しなければならない」
いま思い出しても腹が立つ言葉だけど
「教条主義とはこういうものか…」と思ってちゃんと噛み付いた18歳の自分を今なら褒めてやりたい
(あの頃は絶望してたけどな)

20代の子たちがまだいた頃
何度か事務所内の業務改善目当ての全体打合せが開かれた
そこで入って1年未満の20代組+私が、いろいろ細かいながらも不便を感じてることを伝えたことがあった
結果はどうなったか?
長くいる人たちから「それってそんなに不便?」「別によくない?」「郷に入れば郷に従え」「みんなにとって良くなるなんてことないねんから、今のままでええやん」と
あのときも強く思った
「だったら聞くなよ…自分たちにとって都合の良い話を聞きたいだけなら、わざわざみんなの時間を押さえてまでこんな会議開く意味ないだろ」って

今日は(そして先月のグループ面談でも)あの頃のことを、2年ほど前のことを思い出した
私はあのとき「変えてほしい」と言った側の唯一の生き残りだった
そしてその私も再来月には消える
こうやってこの事務所は続いていくのだろう

本当に片思いだったな…私
人生初の大失恋だ


追記

この間も書いたように、最近拓郎をよく聴く
『僕の人生の今は何章目くらいだろう』
「グロースの翼」でウルフルズバージョンがかかっていて、あれも好きなんだけど
私は大学のときに聴いてた拓郎バージョンの方が好きで
どうしても父を思い出すことが増えた
父の生まれ故郷も今回の地震で大きな揺れがあったらしい
鹿児島県の町名が流れてくる度に、一度も行ったことのない父の生まれ故郷を思い浮かべる
そして…
うちの事務所を辞めていった熊本出身の女の子のことも思い出す
このブログで度々言及してきた20代の女の子と、その熊本出身の女の子は同い年
私は、あの2人をお互いにいがみ合わせるような関係にしてしまった大人として、ずっと申し訳なさを持っている
それぞれが辞めていくとき、2人からお互いに対する気持ちを聞いたから
本当は友達になりたかった、と
貴重な同い年として、もっと違う形が作りたかった、と
もっと優しくなりたかった、と
でもできなかったと

落ち着いたら彼女に連絡する
彼女の大切な人達が無事であることを祈って

弥陀の本願

たまに特定の音楽が頭の中に流れ続けるときがある
最近始まったことではなく、中学時代から稀に起きる現象
中学3年のときは2週間くらいぶっ続けでナウシカの曲が流れ続けて難儀した

今日の夕方、なぜか突然、頭の中に吉田拓郎の『外は白い雪の夜』が流れ始めた

きっかけは分かっている
週末に拓郎のアルバム『PENNY LANE』を聴いたからだ
久しぶりに(10年くらいか?)2枚組アルバムを通して聴いた

もともとは父の趣味だった吉田拓郎
子どもの頃から聞かされていた
両親が別れたあと、母は私が拓郎の曲を聴く度、いい顔をしなかった
母の気持ちも分かるから、あまり聴かないようにしていた
でも最近は遠慮する必要がなくなって
だから先週末に聴いた

いま曲や詞を思い出しながら、なぜ勝手に脳内を流れたのか考えている

「傷つけあって生きるより なぐさめあって別れよう」
「Bye-bye Love そして誰もいなくなった Bye-bye Love そして誰もいなくなった」

たぶんこの歌詞なんだろうな、と思う

辞めると決めてから毎日思い知っている
自分がどれだけこの事務所を好きだと思っていても、私には…

所詮はこれまでの人生と同じで
想ったとて居場所はない
居場所が欲しければ自分を捨てるしかない
そして私は自分を捨てられない

結局、母方の2番目の伯父が大学生の私に勧めた道は正しかった
「国税専門官になれ。なって一定勤めたら税理士になれる。税理士になって独立し」と
20年ほど前の話だ
いろいろ遠回りをして、最終的に落ち着くところに落ち着いたのだろう

私は「群れたい、群れたい」と思いつつ、でも結局は群れることができない人間で
誰かに触れたい甘えたいと思いつつ、最後は自分から離れてしまう人間
いい歳して、まだ“ヤマアラシのジレンマ”に囚われている

いつかは変われるのか
恐らくは変われないのだろう
私が私である故に

“浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし”

次男坊

やっと少しずつ生活が落ち着いてきた
まだ家の中で片付けなければいけないところや、もう少し模様替えしたいところもあるんだけど

仕事に関しては、面接も終わり次の行く先も決まった
そして、その先の生き方も

私が少し落ち着いてきたのを理解してか、次男坊くん(キジトラ)が最近は特に甘えたになってきている
もともとは長男坊(黒猫)にべったり甘えて、お兄ちゃんが添い寝してくれないと鳴いて呼びつけてた子
お兄ちゃんがいなくなって1年半
家の引っ越しも経験して、この子なりに精一杯我慢していたんだと思う
朝出かける前、夜帰ってきてから、そして休みの日
時間さえあれば膝に乗ろうとするし、一度乗ったら動こうとしない
正直、家事する時間が無くなるから困るんだけど
(世の中の猫飼いさん達は一体どうしてるんだ?)

寂しさゆえの甘えただと思おうとしているけれど、恐らくそれだけではないだろう
最近は飲水量も尿量も排尿回数も少しずつ増えてきた
高齢猫にありがちな腎臓の問題が起きてきているんだと思う
小さい頃から尿路結石や熱中症に何度もなってきた子
気を抜くといつ再発するか分からないから、食べ物も室温も気をつけているのだけど…
そして、この子は子どもの頃からずっとおねしょの常習犯
だから夜は一緒に寝られない

あと何年この時間を過ごせるだろう?

「この子を見送る」と考えたとき、ホッとする部分もある
この子を路頭に迷わせず、ちゃんと最期まで看取れるから
飼い主としての責任を果たせるから

でもこの子がいなくなったあとの生活を考えると恐ろしくもなる
自分が自分であり続けられるか分からなくなる
自堕落な自分の性格からして、守るべき家族がいなくなったら本当に適当な生き方をしてしまいそうで

次男坊以外の、自分を社会にとどめておくアンカー(錨)が必要だなと思う
今のところ、その役割を担っているのが仕事と献血で
でもそれだけではどこかで行き詰まるからこそ、何かを見つけなければと焦る
(町会の班長しろ!とかご近所の人達に言われそ)

世の中の人はどうやって生きてるのかな?

手許に本もKindleも無いタイミングで膝上に乗られてしまい、グダグダ考えてスマホいじるしかできないから
こんなことを書きつける日曜日の午後

ボトムズ

悔しさが無いわけじゃない
いや、違う
悔しい
のたうち回りたいほどの悔しさがある
そして言葉にできないくらいの焦りもある
こんな悔しさ久しぶりだ
(そして予感もしていた)

某有名アニメのOVAに関わっていたとき“大人の事情”で設定資料が手に入らず、全く工程が進まなかった
元請からは「とにかく進めろ」と言われ、現場からは「設定持って来い」と言われ、完全に板挟みだった
元の制作会社のOBだった演出家が目を盗んで(目こぼししてもらって)設定資料を現場に持ってきてくれて、それでなんとか進めている状況だった
板挟みが数ヶ月続いて、結局私は耐えられなかった
私が辞めた直後、上の方で“握った”結果、普通に設定資料が共有されるようになった
その後、そのOVAは無事に発売され、それなりに話題となり売れた

先日、加藤紘一が外務省を退官した後の話をここで書いたとき、かつてアニメ業界で経験したことと同じようなことが起きそうな予感はしていた(過去ブログ「あと3ヵ月」参照)
うちの事務所が大きな仕事を取るだろうな、という予感は

ボスはそのつもりで動いていたし、そこまでするからには勝算あってのことなのだろうと思っていたから

そして今
予感していたとはいえ悔しい
どうにもならないほど
叫びたいほど
悔しい
加藤紘一の悔しさには遠く及ばないのだろうけれど、でもやはり悔しい

昨日今日と立て続けに起きた出来事
この悔しさを忘れない
“最低野郎”のときに感じた悔しさ・苦々しさを忘れていないように
この悔しさを糧にしてみせる
そうでなければ意味がない

毎日毎日「もっとこのお客様の仕事をしていたい」「ずっとこの会社を、この法人を見ていたい」と思いながら、泣きそうになりながら、それでも進む意味がない
大好きなお客様、大好きな仕事、大好きな人達と離れて別の道を進もうとしている意味がない

だから今日は目一杯のたうち回る
明日からもう一度、自分の想いと向き合うために


追記
私は基本的に負けず嫌いで、そして本質的に楽天家だ
(でなければこんな癇癪は起こしていない)
だからこそ外から私は自信家に見えるときがあるのだろうし、その“自信家”の鼻をへし折ろうとする人たちがときたま現れる
かつての思い出したくもない奴とか、うちの父とか
だから私の鼻っ柱は何度もへし折られてきたし、その度に繋ぎ合わせて今に至っている
そんな私が好きな言葉の一つが『スレイヤーズ』のリナ・インバースの台詞
「勘違いしないでよ。 あたしは『負けるとわかってはいるけど戦う』ってぇそのこんじょーがけしからん、と言ってるわけで、『負けるからやだ』なんぞと言ってるわけじゃないのよ。 いい? たとえ勝てる確率が1パーセントほどだとしても、そーいうつもりで戦えば、その1パーセントもゼロになるわ。 あたしは絶対死にたくない。 だから、戦うときは必ず、勝つつもりで戦うのよ! 」
この言葉の通り
私は諦めていない
万に一つの確率だったとしても
大好きな人たちと再び一緒に仕事する夢を諦めない
いつかきっと...の想いは、ずっと持ち続けていく

『滑走路』

今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば 「風景画」
かろうじてある現在よ ぼんやりと夜空に浮かぶ月をながめる 「光る蛇」


去年の12月半ばに引越して、それから段ボール箱に詰め込まれたままだった本を、今日ようやく本棚に並べた
まだ全てを並べ終えたわけではないが、あらかた終わった
そしてようやく萩原慎一郎の歌集『滑走路』を出してきた

まだ税理士試験受験生だった頃、腫瘍が見つかった
当初は部位が部位だけに医者も顔色を変えて「ご家族は?」「紹介状を書くので今週末にはそちらに行ってください」と言われた
精密検査を2ヵ月ほどやって、結果当初想定されていた部位ではなさそうということで落ち着いたのだが、その間あと数カ月で自分がこの世からいなくなることを想定した準備を進めた
死んだとき、どこに連絡してもらうか
自分がいなくなったら(その前に体が動かなくなったら)長男坊と次男坊の世話をどうしてほしいか
残された時間が半年も無いかもしれないと考え、残り僅かな時間でできるだけのことをしようと走り回った
結局その年は精密検査の2ヵ月と手術・入院の1カ月、退院後の定期通院・検査期間の1カ月でまともに勉強ができない期間が多く、挽回できないまま本試験を迎えた

クローズアップ現代で萩原慎一郎の歌集を知ったのはその頃だった
非正規、先行きへの不安、それでも夢見る未来へのかすかな希望
当時なぜか強く惹かれて、Amazonで急いで買った記憶がある
手元に届いた頃は何度も読んだ
なぜこれほどの才能が死ななければならなかったのか...と思いながら

税理士試験に合格して前の事務所で働き、コロナ禍で身の回りの状況が一変し
いつの間にか本棚に置いたままになっていた
いまの事務所に入った頃、少しだけ開いたこともあったけれど、あまりに心が揺さぶられてしまい、自分の日常が揺らぎそうな気がしてすぐに閉じた

今日、本当に久しぶりに落ち着いて読んだ
いまの自分に響く言葉を探しながら

冒頭にあげた2首は今日強く印象に残った短歌のうちの一部
きっとこれからも何かあったとき彼の言葉を読み返すのだろう
そして彼が生きられなかった40代50代を私は生きていく
ほんのわずかな偶然で繋がった今の命に感謝して
命を繋いでくれた人たちを忘れずに

消費税法

昨日、ようやく表のブログに挨拶文を投稿した

本格的な記事の1本目に何を書くか
自分の興味関心や、ここ最近の仕事の状況から、消費税のある論点を書く予定だったりするのだけれど
ちゃんと書こうとすると調べ直しが必要で、そのために昨日(日付変わって今日)も1時まで本と睨めっこしていた

私がいまの事務所に入るときの面接で聞かれたこと
「得意だった税法は?」
誰に聞かれたかは覚えていないけれど、そのときの自分の答えはよく覚えている
「特に得意という税法は無かったですけど、消費税法は好きです」

正直言えば、内閣3つも吹き飛ばして成立させた大型間接税だから好きなのだけど

一般消費税にまさに命を懸けた大平正芳、長期政権でも通せなかった売上税の中曾根康弘、そしてリクルートコスモス株で政権のライフゼロでも消費税法を通してみせた竹下登
中曾根康弘内閣末期以降は記憶しているから、いまの消費税が成立したときのあの政権状況を思い出したとき「よく通せたよな」としみじみ思う
年末まで臨時国会開いて消費税法と関連法案を通し、戦後初の大喪の礼を執り行い、予算成立のため自らの首を差し出し退陣していった竹下
(参考:徹夜国会の末に消費税導入決定|ニュース|NHKアーカイブス

もしも消費税が廃止になったとしたら、もう一度あれだけの政治エネルギーを投じて大型間接税を成立させられるのか?
それだけの信念を持った政治家が今どれだけいるのか?
そんなことをつらつら考えながら、今日もまた消費税法基本通達逐条解説と睨めっこする


追記
本当は法人税法の新しい基本通達逐条解説も購入したい
最新版が12訂版、我が家にあるのが9訂版(平成30年12月改正まで)
いくらなんでも古すぎるから、最新版をと思うのだけれど
如何せん重たい
今日も三宮センター街まで行ってきたけれど、買って帰ってくるには...ただただ重い
今週は一週間で5件の面接と1件の面談をこなして、さすがにヒットポイント0
もうちょっと体力が回復してから、もう一度買いに行こう

『さくら咲いた』

いや、まだ咲いてはいないのだけれど…
まだこれから面接で、次は何も決まってないのだけれど
でも、自分のなかで、やっと少しだけ区切りがつき始めた

区切りの1つはサクラ大戦・新歌謡ショウの『さくら咲いた』を聴けるようになったこと
今年1月末に池田勝さんが亡くなり、思ったよりもショックが大きくて、ずっとサクラ大戦の曲を聴く気分になれなかった
私にとってはサクラ大戦=米田大戦で、米田一基=池田勝だったから
新青い鳥のとき、夜の部の公演が終わって青山劇場の外で少したむろってたら、劇場の表からシレッと帰って行く池田勝さんを見かけたことがある
背筋が伸びていたことと、思ってたよりも小柄だったことしか覚えていないけど

もう1つの区切りは「思い切り泣こう」と吹っ切れたこと
大切なものを失って悲しくないわけがない
だからちゃんと泣こう、と思えた
大好きな仕事、大好きな場所、大好きな人
それらを失うのだから、悲しくて当たり前なのだと
縁があれば、いつかまた道が交わることもある
それを信じよう、と
(西田さんのように、もう二度と会えないわけではないのだから)

これからの数年間、「いつか…」という小さな希望を持ち続けて進む
期待はせず、でも想いは持ったまま
大好きな人達との道が交わる日を願って

そしてもしもその願いが叶ったなら
そのときは『さくら咲いた』と言える気がする


20年前、真夏の青山劇場に咲き誇った桜を思い浮かべながら
20年前に叶えられなかった夢を想って
今度こそは

打率

四捨五入して3割6分4厘(11打数4安打)
現在の書類選考通過率をどう考えればいいのか?
野球で考えれば、首位打者争いできそうなのだけれど

自分の年齢、自分の経歴を考えれば、極めて良い方なのだろう
しかも応募する時点でパブリックセクターをやっている事務所に絞っているから、あとはもう個別に(直接)問合わせるしかない
最悪、なし崩し的に独立するという手も考えている
ただし何の準備もしていないなかでの独立は、本当の最終手段だけれど

来週は面接ラッシュ
正直、気が重い
いま既に逃げ出したい気分になっている
事務所の端っこすみっこで丸まって、ちまちまと仕事をして、隠れて暮らしたい
(辞めるからできないけれども)

来週は金曜日に最大手の面接が控えている
それが一番しんどい
自分がこれまで何度もWEBセミナーを受けて学んできた相手
ダメもとで出したから書類選考で落ちる気満々だった
それがまさかの面接
マ ジ 逃 げ た い

どこか隅っこに隠れてちまちま仕事できて、それでいて楽しくパブリックセクターの税務やらせてくれる場所はないだろうか
楽しい“玩具”さえ与えておいてもらえれば、それだけで幸せなんですけどね?私は

こんなグダグダ考えるのも、辞めると決まって公表されてからの事務所の空気がしんどいからで
辞める人が有給消化したがる気持ちがよく分かる
自分でも「さっさと引継ぎして有給消化に入ろうか」と考えたりする
実際はいまの事務所の状況的にそんなことできないのだけれど
やることあるし、引継ぎ先の人達はいま殺気立ってるし
何よりも、大好きなお客様たちと、もっと接していたいから

さて、今日はダメもとの問合せメールを送ってみた
求人募集していない事務所に一方的なラブレターを送りつけた
普通に考えれば、めっちゃ嫌な奴
ある種の“ストーカー行為”
まずはお返事が来ることを祈ろう
自分で動けば、とりあえず何かの縁にはなるだろうから



追記

大学卒業前とアニメの専門学校に通ってた頃の2回、同じアニメーション制作会社に求人募集の有無を電話で問合わせたのを思い出した
タツノコプロ
赤い光弾ジリオン、天空戦記シュラト、エヴァの制作部門(進行部分)やOVAのサクラ大戦
自分にとっては憧れの制作会社だった
でも当時は経営に行き詰ってタカラの傘下になった頃
全く制作の募集をしていなかった
本当にタツノコとは縁がなかった
それから流れ流れて税務の世界に入ることになって今がある

私がずっと大切にしているボスの言葉がある
「所詮は“縁”やからな」
言われた当初はすごく反発し、そして自分の人生を振り返る度に言葉の深さを思い知った

アニメの世界とは縁がなかった
ならば、パブリックセクターの税務との縁は?
ぜひ有ってほしいと願うし、今度は自分から縁を作りに行く

七夕

1年前、有給を取って万博に行っていた
2年前、長男坊(黒猫)の癌が見つかった

いまの事務所に入って、大切なものをたくさん失った
一番ダメージが大きかった(大きい)のが長男坊
私が一番苦しかったとき、ずっと黙ってそばに寄り添ってくれた子
我が家にやってきてから亡くなるまでの11年7カ月弱、ほぼ毎晩私のそばで眠ってくれた
どれだけしんどくても、苦しくても、あの子の温もりに触れていたらいつの間にか落ち着いて眠れた

いまの事務所に入ったばかりの頃
事務所の空気感、雰囲気に馴染めず、正直毎日苦しかった
自分がいかに人並み未満の人生を歩んできたか思い知らされて、何度も辞めたいと思っていた
それでも「続けることでしか自信はつかない」と言ってくれた人の言葉を信じて、とにかく続けようともがいた
あの頃、長男坊が横にいてくれなかったら、私はもっと早くいまの事務所を辞めていただろう

事務所に入って半年ほどたった頃、少しだけ自分の居場所が見つけられたような気がし始めた
事務所の隙間、隅っこに自分が入り込める気がした
少しだけ事務所の中で呼吸ができるような感じがし始めた頃、長男坊に癌が見つかった
あのとき、あの子の命をどうやって延ばせるか調べ考えながら、頭の片隅で感じていた
あの子は、自分がいなくても私が生きていける、そう思えたから癌になったのではないか?と
非科学的であり得ないことだけれど、そんな考えが浮かんでいた

長男坊の闘病は5カ月ちょっと続いた
その間、前のチームの面々が事務所を辞めていった
独りとり残される寂しさを抱えながら、でも目の前の長男坊の看病と仕事に追われて、気づけば事務所に入って1年が過ぎていた

去年の今頃は新しい家のことで走り回っていた
新しい家になれば、母との間にある何とも言えないズレや葛藤も、もう少しマシになると信じていた
新しい家は母の長年の夢だったから
その夢を叶えればもう少し違う関係が築けると思っていた
でもそんなことはなかった


そしていま、私は事務所を辞めようとしている
9月末には辞めることが決まっている
自ら大切な関係を手放した
どれだけ片想いだったとしても、大切な関係だったのに
事務所のことも、仕事も、お客様も、同僚たちも、上長sも、ボスも
片想いでも、自分が望めばこれまでの関係は続けられたのに
それを自ら断ち切った
そして失った

事務所で仕事をしながら「次はこんな風に改善したい」と思っては、この事務所の未来に自分がいないことに気付く
「来年は」「次は」の、❝来年❞も❝次❞も私にはない
自分でそうした
だから自業自得だ
だから透明人間になりたい
淡々と仕事をして、淡々と引継いで、そして


毎日毎日心はジェットコースターで、エヴァの葛城ミサトのセリフを思い出す
「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、そのたびに前に進めた気がする」
前に進んでいる感じはない
むしろ後退しているようにも思える
それでもこの道を進むしかないんだろう
進んだ先に小さな夢やささやかな未来があると信じて
そう想いつづけて

公益法人…?

昨日7月3日有給休暇をとった
体調不良での有給消化ではなく、計画的なお休み

もともとは金曜日から月曜日まで連続して4日間休むはずだった
家の中を片付けて、日常生活を快適にするための環境作りをするはずだった
有給申請したときはそのつもりだった

しかし自分の癇癪のために金曜日は転職活動で潰れてしまった
若干の片付けはしたけれど

今日土曜日は、当初の予定通り髪を切り、三宮センター街でお昼ご飯と本屋と献血を済ませ、休日を堪能してきた

今日の献血は血小板の成分献血
だいたい1時間〜1時間半コース
献血中、あまりに暇でタブレットを使って法人税法別表を眺めていた
(献血ルームにはタブレットが設置されていて、長時間でも退屈しないようになっています)

日本放送協会や日本中央競馬会は公共法人なんだ、とか
税理士会や弁護士会は公益法人なんだ、とか
そんなことを思いながら眺めていた

そして
日本赤十字社は公益法人なのだそうな
公 共 法 人 で は な い

設立の経緯とか名誉総裁とかを考えて公共法人っぽく思っていたのだけれど
宮様方との関係と税法上の区分は別物らしい
その辺はちゃんとしてるんだと感心した
恩賜財団済生会が社会福祉法人なのともしっかり整合している

しかし、結構自由に活動できる宗教法人と、日本赤十字社が同じ括りというのはちょっと…
この辺りはいつ槍玉に上げられてもおかしくないなと思う(過去ブログ「公益性」参照)

基本的に本邦国民は“無宗教”だから
そしてNIMBYを徹底している人が多いから
だから宗教の持つ社会的公益性を示せなければ、いつ「みなし寄付」を取り上げられてもおかしくないと思っている
非営利型の一般社団/財団法人と同じ立場になってもおかしくないな、と

分離独立

 南オセチアやドンバスのようなきな臭い話ではなく
スウィートウォーターやアクシズのようなスペースノイドの自治権云々でもなく

ブログを分離させようかと考えている

仕事用というか表の“コーティング”したブログと、こちらの内面暴露の裏ブログとに分けた方が、後々のために良いのではないか?と考えはじめた
その方がある意味『青の時間』っぽいなとも思う

このブログのタイトルは薄井ゆうじ著『青の時間』からつけた
『青の時間』は、中学の頃NHK-FMの青春アドベンチャーでラジオドラマ化されていたことから知った作品
ドラマの最後がよく分からなかったために原作を探して買って読んだ
原作を読み終えてもやはりよく分からなかった
しかしなぜかずっと引っかかり続けている
私の中にも「ブルー」の部分や「万里夫」の部分、そして「僕」の部分があるよな、と

もともとこのブログを始めたときは、自分の全てをここに統合しようと考えていた
しかし、自分のこれからの仕事や精神安定を考えたら、1つにまとめると無理が生じる
ならば分けた方がスムーズに運用できるな、と

大学の恩師がはてなブログに読書記録や学務で考えたことを記しつつ、Twitter(X)で日常的なことをボヤき呟いているように
(どこまでも恩師の掌の上なのが癪に障るけれど、仕方ない)

自分の思考を社会的にコーティングする能力が、少しは磨かれるだろうか?
或いは、社会的ペルソナを被る訓練になるだろうか?
そんな作用も期待しつつ、少しずつ分離準備を進めていく


しかし…
私、自己認識は「本籍・政治クラスタ政局界隈宏池会周辺」で「住民票・税務クラスタ」だったんだけどな
徐々に本籍が「税務クラスタ公益法人界隈」になりつつある
それもこれも全ては文雄が派閥解体させたせいだし、そもそもは小選挙区比例代表並立制の導入を進めた小沢一郎のせい
この辺りの“恨みつらみ”はそのうちに

あと3ヵ月

6月が終わる
ひと月前、私はまだいまの事務所で何年も働いていこうと思っていた
いまの事務所で仕事を続けるつもりだった
5月下旬の土曜日出勤のとき、一人きりで仕事をしているなか、極めて危険な精神状態になっていたから、実際にあと何年も続けられたかどうかは怪しいのだけれど
それでも、続けたいとは思っていた
そしていまだに「いまが何かの悪い夢であってほしい」と思う瞬間がある

今朝、私にとっての“親鳥”のような前チームリーダーからLINEがきた
「辞めるんですね?」と
本当は私から感謝も含めてご挨拶したいと思っていた
今日までがうちの事務所との契約期間だと聞かされていた
だからこれまでの感謝と、それからお詫びも含めてご挨拶したいと思っていた
今日のLINEでは上手く伝えられなかった
書こうとすると感情が溢れてしまいそうで
仕事に行けなくなりそうで
だから「これからもパブリックセクターをやれる税理士事務所を探して動いています」とだけ伝えた
前リーダーからは「嫌になって辞めるわけじゃなくて少し安心した」とだけ
そして「また、ランチ行きましょう」と

いまの事務所で出会った人達には色々な想いがある
20代の子達に対して(私も含めて)言ってきたこと、してきたことを考えたとき、本当にいろんな思いが込み上げる
憎しみに近いマイナスの感情も無いわけではない
諦めに近いどうしようもない違和感もある
でもそれ以上に大きな感謝の気持ちがある
出会えて良かったと思える人たちが何人もいる
経験できて良かったと思えることが沢山ある
心がずっと大きく揺れ動いている

悔しさも多分にある
自分自身に対する悔しさも、それ以外に対する口惜しさも
それでも自分で動くと決めた以上は進むしかない
この選択が正しかったと言えるように
そして...期待はせず、でも想いは変えず、常に「いつかきっと」の心を持ちながら
小さな希望を抱いて

あと3ヵ月
たった3ヵ月
きっとその間に「これだけ待ち望んでいた機会を犠牲にしたのだから、絶対に自分の道を進まなければ割に合わない」と思えることもあるだろう
私が悔しがるほどの大きな仕事を、うちの事務所に受注してほしいと思っている
私はいまでもこの事務所が大好きだから

❝選挙が3ヵ月後に迫ってきた1972年9月、私は、地元に帰り、連日選挙区の山間部をあいさつ回りして歩いていた。この年7月には長期政権を誇った佐藤栄作首相が退陣し、激しい総裁選を制して田中角栄内閣が誕生した。それと同時に対中国政策も急展開し、9月末には、田中首相が大平外相、二階堂進官房長官らとともに、戦後の首相としてははじめて中国を訪れた。そして毛沢東主席、周恩来首相らと順調に会談を重ね、ついに日中国交正常化が実現した。中国をライフワークにし研鑽を積んできた私の夢は、国交樹立の直前に先遣隊として北京入りし、交渉の段取りを整える仕事に携わることだったが、すでに前年に外務省を退官していた私には、その夢を果たすことはできなかった。国交正常化のニュースをテレビで見ている自分の状況には、非常に感慨深いものがあった。本来なら、いま後輩が座っているあの席で自分が通訳をやっていたはずだ。その前には中国の担当官と丁々発止の交渉もしたのだろう──その機会をすべて犠牲にしたのだから、絶対に当選しなければ割に合わないと思い、選挙戦にもさらに熱が入った。❞(加藤紘一. テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体 (講談社+α文庫) (p.88). 講談社. Kindle 版. )


昨日面接の予定が入った
今日適性検査も受けた
自分の適性がどのようなものなのか分からない
縁があるのかどうかも分からない
いまはただ“これまでの縁”と“これからの縁”を信じて

血は争えない

 母方の祖父は高知に生まれ、高等小学校卒業後に東京の親戚の家の養子となった
サクラ大戦の主人公・大神一郎と同い年の明治36年(1903年)生まれ
親戚の家は活動弁士で、旧制中学を出してもらい大学にも入れてもらった
そのため学歴だけ見ると祖父は立派な人物のように思える
東京開成中学(現開成高校)卒業から早稲田大学英文学科中退、なのだから

ただし
なぜ早稲田を中退することになったか、が問題で

治安維持法制定前後のあの時代、社会主義運動に足を突っ込んでいたのですよ、うちの祖父は
時代の流れを考えれば、あとの世代から見れば、アホとしか言いようのないことをやった人
当然警察に捕まりまして(東京の水上警察だったらしい)
孫の立場から見ても「頭大丈夫か?」と言いたくなるような無謀さ

地元の名家だったとはいっても没落しつつあり、それ故に彼は養子に出されたわけで
(あと9男4女の末っ子だったので食い扶持減らしの意味も多分にあったと思う)
自身の母方の親戚といっても、彼が養子だったのは間違いないわけで

それで何で社会主義運動に参加した...?

逮捕後、当たり前ですが勘当され、その結果早稲田も中退
高知に“出戻る”ことになったのです

本人も晩年は自身を「癇が強い」と認めていたらしいので、まあそういうことなのでしょう

その祖父が「自分に似ているから気に入らない」と徹底的にきつくあたったのが二番目の伯父
親戚の集まりで見る二番目の伯父はいつも穏やかな笑顔で、私にとっては“威厳があって怖いけどいい伯父さん”
ただし兄弟間での評価は全く違って、母曰く「恐ろしく癇が強い兄」

そして親戚の集まりで伯父達や叔母から散々言われていたことが
「あんたはお父さん(祖父)や昭次郎(二番目の伯父)によう似てる」

いまそれを実感しているところです
自分の後先考えなさ具合は理解していたつもりが
まだまだ甘かった
私の精神のじゃじゃ馬はまだ飼いならせていなかったようです

とはいっても、感情が駄々をこねているだけで、理性は今回の判断を良しとしているので
選んだ道は間違っていないと思います

1年くらい前から何となく予感がしていて
それ故に自分を縛り付けようといろいろ試行錯誤もしたけれど
半年前には「もう誤魔化しきれないかもな」と思い始めて
そしてここ3カ月ほどは限界寸前を行ったり来たりしていたので

今週、次も何も決まらない、決めていないなかで、ボスに退職を申し入れました
アホの孫はアホだったということです
本当に...血は争えないんだなと思います



追記

事務所が嫌になった、仕事が嫌になった、ボスが嫌になった、上長sが嫌になった
そんな理由で退職を申し入れたわけではありません

むしろ私は今の事務所の人達が大好きだし、仕事の内容が大好きだし、お客様も大好きだし、上長sも大好きだし、何よりボスが大好きです
それは何も変わっていません
しかし今の私の「大好き」という感情、そしてその感情から生まれる熱量が、事務所の雰囲気と衝突する未来が見えていた
既に衝突し始めていた
だから辞める道しかなかったのです

社会福祉法人が好きで、宗教法人が好きで、公益法人が好き
そういう私がド変態なのは間違いないでしょう
そして事務所内の大勢を占める「単価が低くて効率の悪いそんなこと(主に社福)やりたくない」空気と、ド変態である私の「大好き」がぶつかりつつあったのです
同じチームの彼女から浴びせられるマイナス感情然り
役職者から言われた「○○さん(私)がそんな事してるから、そんな働き方してるから、みんな社福なんてやりたくなくなるんですよ」という言葉然り
他の人が“効率の良い働き方”を実践してみせてくれるわけでもなく、「社福なんて」「社福なんか」と言われ続ける決算期
自分の中にある公益法人等への想いが大きくなればなるほど、事務所の空気と衝突する未来が近付いてくる恐怖

自分の「大好き」全てを守ろうとしたら、自分が事務所を離れるしかないという結論に至りました
感情は駄々をこね続けています
それでも...この道しかなかったと思います

経営者の資質…?

毎月必ず訪問している担当先がある。
半日ほどお邪魔して、経理事務的なことを会社でする。
その際、社内の会話が漏れ聞こえてくる。
私はあの時間が好きで訪問を楽しみにしている。

数ヶ月前、社長さんが従業員の方に話しかけたときの言葉が忘れられない。
従業員の方はその週末にレンタカーを借りて出張に行くことになっていた。
出張手続やかかる費用について一通り報告を聞き終えたあと、社長さんが軽く一言添えられた。
「気をつけて行ってきてな。無理せんようにな」

それを聞いた瞬間「あ、うちのボスと同じだ」と思った。
そしてこう考えた。
もしかしたら、経営者には父性(母性?)が必要なのかもしれないと。
マネジメント論などという大層なものではなく、もっと根源的な、人間性のようなものがなければ人はついて行かないよな、と。

前述の会社は、いま代替わりを控えている。
次の社長さんが、従業員にとって“理想的な父親”であれば良いな、などと思いながら事業承継を応援している。
側面支援しかできないけれど、良い事業承継になってほしいと強く願う。

公益性

 宗教法人の公益性とは何なのだろう?
ここ半年以上ずっと考えている。
法人税法上の「公益法人等」に含まれている以上、何某かの公益性が宗教法人にはある、とこの国は認めているわけだが、その公益性が分からない。
ボス曰く「宗教法人には聖と俗がある。税法や会計の話は“俗”の部分。だからそこからでは見えてこない」と。

では...と考える。
今現在の宗教法人の“聖”の部分とは?
現代社会において公益性が認められるような“聖”の部分が存在するのか?
そのあたりの議論は宗教家自身が考えることなのだろうが、正直、いまを生きている人々にとって宗教がアクチュアルなものとは思えない。
少なくとも日本社会に暮らす多くの人にとって、自らの生き辛さや孤独と向き合うための方法として、宗教は生きた道具ではないと思う。

だからというわけではないが、宗教の公益性を“聖”の部分に求めるのは、少し違うような気がする。
むしろ加藤紘一がNPO法成立に尽力した流れのように、パブリックな領域としての宗教法人、と捉えるべきなのではないか。
つまり「地上5メートルを浮遊する風船」「自由電子化した人々」を繋ぎとめる役割の1つとして宗教団体や宗教法人を捉え直す方が、法的な恩恵としての「公益法人等」を理解できる気がする。(そしてそれはグロテスクな関係を孕むのだが…)

いずれにせよ
宗教法人、宗教界自体が自らの公益性を証明できない、説得できない今の状況では、いずれ宗教法人法の改正や認定の厳格化などが起きるだろう。
社会福祉法人、公益法人、学校法人...と、この間公益法人等の認定基準や会計基準の見直しが進められてきた流れから考えれば、そう遠くないうちに宗教法人にもその流れがやって来る。
そのとき自分の担当する宗教法人、うちの事務所の顧問先をどう守るか。
宗教法人法の規定を守ることは当然として、それ以上に組織の内部統制をしっかりとさせていかなければいけない。
それが、担当先から煙たがられたとしても、その宗教法人を守ることにつながるのだろうから。

今度こそ「“いい人”でいたい」欲と向き合わなければいけないのだろう。

転変

 昨年の12月半ばに今の家に引越して早6カ月になろうとしている。
その間、本当に色々なことがあった。
特に2月半ばに母と別居することになり、そして4月半ばに完全に決裂して以降、次男坊(キジトラ)と自分のためだけの生活になった。
次男坊くんには申し訳ないと思う。
もともと甘えたで、拾った頃は誰彼となく「グルグル」と喉を鳴らしてすり寄った子。
彼はいつも誰かに傍にいてほしいタイプなのだけれど、私の都合でいま独りのお留守番時間が増えてしまっている。
家にいる間はできるだけ埋め合わせるようにしているのだけれど…。

事務所の中でもいろいろあった。
以前のブロクに書いた通り、チーム内の人間関係でかなり嫌気が差し、ボスに対して本気で「解雇してほしい」と願っていた。
あのタイミングで私が自主的に辞めた形をとれば、当然彼女は居心地悪くなるだろうし、そうなれば早晩彼女も事務所を続けられなくなるだろうから。
(20代の女の子にしたことを振り返れば、何とも思わずむしろ「偉そうな奴が辞めてせいせいした」と陰口叩かれる可能性もあるのだが)

辞めた子に連絡を取り「辞めたことで後悔したことはあるか?」と聞いたりもした。
彼女の答えは「無いですね。良い経験はしました」だった。
そんなもんだろうな、と思う。

結局、私のなかで辞めるか辞めないか、進退伺を出すか出さないか、いま結論を出すのは保留している。

判断を保留し、パートの方と話すなかで、いま自分自身の役割を考え直している。
「もしもボスがいなくなったら、私達はどうなるんでしょうね」「次の体制に私達の居場所があるのか分からないですよね」「この歳からまた無職になるのはキツイな」そんな言葉を聞いた。
彼女たちは私よりもよほど弱い立場に置かれている。
私に何ができるのか?

ふと十二国記のエピソードを思い出した。
『風の海 迷宮の岸』
高里要こと泰麒が自らの王を選ぶ話。
あのとき泰麒は後ろに驍宗がいなければ饕餮に食われていただろう。
驍宗がいたからこそ泰麒は自らの力を使いこなせた。
驍宗もそれを理解していたから「動けない」と言った。

自らを黒麒になぞらえることがどれほど傲慢かは理解している。
しかし今の私の心境としては、こう問わずにはいられない。
―私にとっての驍宗はどこにいるのだろうか?と

自らの殻を破ってでも守りたいと思える人はどこにいるのだろうか?と

もしかすると、既に出会っているのかもしれない

私の転変は既に始まっているのかもしれない


追記
高里要の抱える空虚さや居場所のなさは普通の人が抱えているものとは違う。
それは『魔性の子』で描かれた通り。
それならば…と思う。
人生で既に2度も犯罪に巻き込まれた私はどうなる?と。
両親ですら、私の抱える欠落感の欠片も理解できなかった。
理解のしようがなかった。
両親にとっては育てにくい手のかかる子どもだっただろう。
その意味であの人たちも可哀想な目に遭ったし、巻き込んでしまって申し訳ないことをしたと思う。
私が黒麒であろうと無かろうと、私の欠落感や絶望に巻き込まれた身近な人達の苦しみもまた悲劇なのだろう。

翼があれば?

 何周遅れか分からない話を書く。
『虎に翼』
リアルタイムのときはあまりに盛り上がりすぎていて、私ごときが話題にするのはおこがましい気がしていた。
私はモデルである三淵さんに特別の思い入れもなかったし、裁判官の話にも興味が無かったから。

でも放送されたのがちょうど今の事務所で働き始めた年だった。
まだ20代の女の子たちがうちの事務所で働いている頃だった。
40代の自分が20代の子たちに何ができるのか、それを考えるきっかけになったドラマだった。

最初はオープニングの映像に惹かれて見始めた。
アニメーションで所謂“振り向き”と呼ばれるような、人物が回転する映像を多用するのは珍しく、実写をベースにアニメーション化しているからこそできる映像だな...と新鮮な気持ちで見ていた。
「そうか、実写で撮っておいてそれを下敷きにアニメーション化したら、アニメーションとしてはこんなに新鮮な映像になるのか」と衝撃を受けたのを強く覚えている。
ドラマの内容に惹かれはじめたのは女子部の面々が本科に進み始めた頃。
オープニングの「さよーならまたいつか!」を聞きながら、士業の世界で生きている自分の在り方を考えさせられた。

あの頃mastodonに書いた。
母の高校~住友生命の同期だった女性の話を。
その人が会社を相手に訴訟を起こすとき、我が家までやってきた。
私はまだ中学生で、その人が訴訟を起こそうとしている意味を全く分かっていなかった。
その人は「あとに続く女性のために、少しでもマシな世の中にしたい」と言っていたのに。
女であるという意味を、私はまだ全然分かっていなかった。

『虎に翼』を見て「さよーならまたいつか!」を聞いて、そしてうちの事務所を辞めていった20代の子たちを思い出して、いま思う。
私は恵まれている、と。
資格取得を諦めるしかなかった人達がどれだけいただろう、と。
家族の世話、家事、育児、介護etc.
当たり前のようにケアを期待され、その結果、自ら資格を得て働くことを諦めた人達がどれほどいただろう、どれだけいるのだろう、と。
私の資格は私だけのものではないのかもしれない、と。

5月末で辞めた人に言われた言葉を嚙みしめる。
「税理士になってください。数少ない女性税理士になって活躍してください」
社交辞令であっても、あの言葉は私には重かった。
自分の恵まれた立場を自分のためだけに消費してはいけないと、突きつけられた気がする。

ここ数か月、ボスから何度か登録を進められていた。
私自身も迷い始めていた。
そして今日、また登録を進められた。
来年1月、いまの事務所で働き始めて3年になるタイミングで登録すると、そう約束した。

何が変わるのか、何が見えるのか分からないけれど。
一歩前に進むときなのだろう。

 ~誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
  繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
  貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
  100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!~

財布

台風が接近している。
明日朝、近畿圏に最接近するらしい。
そんな嵐の前の静けさだから…というわけではないが、書きたいことがいくつか溜まっていたため今日は2つ記事を上げようと思う。

先週から何度かボスと話す機会があって、いろいろな話をしている。
もちろん仕事の話なのだけれど、そこから思い浮かぶことは仕事のことだけではなく。

加藤紘一の『テロルの真犯人』の中にこんな記述がある。
“1972年7月5日、福田赳夫氏との激しい総裁選を制し、田中角栄氏が自民党総裁に決定した。その直後の記者会見に臨んだ角栄氏は、居並ぶ記者の1人から以下のような質問を浴びせられた。「国民はいま、7年間続いた佐藤栄作前総理の政治に倦んで何らかの変化を求めています。しかしその佐藤政権で幹事長を務めたあなたは、佐藤前総理とどこが違うんですか?」それは暗に「あなたはしょせん、佐藤前総理の亜流にすぎないのではないか」といわれたようなものだった。すると彼は一瞬にしてキッと居直ったような表情になり、「いいですか、一軒の家でも財布が親父から息子に移ると、やり方も変わってくるんだよ」と答えたのである。その会見をテレビで見ていた私は、「さすがにうまいことをいうもんだな」と心底感心した。”(加藤紘一. テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体 (講談社+α文庫) (pp.95-96). 講談社. Kindle 版.) 

いま私が担当している法人の中には代替わりを数年内に控えているところ、代替わりして数年経ったところがいくつもある。代替わりに伴って契約解除されてしまった担当先もあった。
代替わりが迫ってくるとそれまで見えにくかったゴタゴタが表面化したりして、どこも一筋縄で行きそうもない。
そして上手く代替わりしたように見える法人であっても、ボスの目から見たらいろいろ思うところはあるようで。

そんな顧問先の話をしていて、私の頭の中に加藤が紹介した角栄の言葉が浮かんだ。
―財布が移ればやり方も変わる―
それはそうなのだろう。
避けようのない事実なのだろう。
だが財布を受け継いだ本人はともかく、周囲は急激な変化についていけない。
穏やかに緩やかに変えるか、或いは出血を覚悟して一気に変えるか。
中途半端に変わるのは一番得るものが無いのかもしれない。
そんなことを考える。

周囲の人間の立場ではこう思う。
「大国を治るは小鮮を烹るが若し」
加藤の師・大平正芳が好んだというこの言葉。
翻弄されるしかない立場としては、穏やかに丁寧にしてもらえる方が安心できる。
だがあくまでもそれは周囲の人間の勝手な希望。
穏やかで丁寧な手法が経営者として正解である保証は無い。

いずれ、うちの事務所にもそのときはやって来る。
“財布”がボスから副所長に移る日が。
来てほしくないとどれだけ願っても、時の流れを押しとどめることはできない。
そのとき私はどうするのだろう?
いまはまだ何も浮かばない。
きっと、そのときそのときで最善と思われる道を選ぶしかないのだろう。
その選択がどれほど辛く苦しかったとしても。


追記
私はいまの事務所に入った頃からずっと、事務所の構成や状況を“帝国華撃団”だと思って見てきた。ボスはもちろん米田一基で、副所長は大神一郎のようなもので。
いまはサクラ大戦での「サクラ大戦4-恋せよ乙女-」の時期なのかもしれない。
本当はまだまだボスの背中を仰ぎ見ていたいと思うのだけれど。
それはもう許されないのかもしれない。

限界?

 先日書いたことの流れとして、昨日は限界を迎えていた。
チーム決算の最終コーナー。
うちのチェックミスが散見され、その度に先方に連絡して謝る。
原因を説明しつつ、うちの態勢でどこまでできるか、先方にしていただきたい範囲はどこかを探りながら会話する。
そんなことをこのひと月ほど繰り返してきた。

それと同時に、ミスが判明し原因究明する度に先方への不満や嫌悪を示す同僚(先日の彼女)の話を聞いて宥めることも行ってきた。
彼女の負荷を下げるつもりで彼女担当部門のトラブルを引取り、GWを3日ほど潰して対応にあたった。彼女のためというよりは先方のためであり、ひいてはうちの事務所のためと考えて行った。
ただ彼女の言動から判断して、負荷が下がったことで余裕が生まれて不満や嫌悪感が減るわけではなく、むしろ増大してしまったように見受けられる。
余裕が生まれたことで、上司たちに見つからないところで行うようになってしまった。その捌け口が私だった。
結果としては私の見立てが甘かっただけなのだが、彼女の感情の“吐瀉物”をぶつけられ続けた上に業務としての顧客対応も並行していたことで限界が来てしまった。それが昨日。

さすがに危ないと思ったが、いのちの電話もこころの健康相談統一ダイヤルも生きづらびっとも繋がらなかった。
世の中、ギリギリで踏みとどまっている人の多さを実感した。

結局踏みとどまれた要因は先方との会話。
先方の各部門から電話が入り、決算の進捗状況を伺い対応しているうちに、大波が去って行った。
因果なもので、仕事(同僚)に追い詰められ仕事(顧問先)に救われた。

ボスがかつて書いたブログに「仕事」というタイトルの記事がある。
「緊張感も承認(感謝)もない仕事は、本来仕事とはいえないのかもしれない。」
私にとってあの顧問先は、ボスの言うところの「仕事」なのだろう。
そんなことを考えた。

自宅でリモート作業(別顧問先)をしていたところ、共有PCとの接続が突然遮断された。
原因はうちのチームリーダーが共有PCにアクセスしたため。
連絡を取り、彼にそのまま使ってもらうことで話は落ち着いたのだが。
昨日一日の中で一番ホッとした時間だったかもしれない。
顧問先対応をしているのが私だけではないと実感した瞬間だった。
GW中といい、見えないところでちゃんとリーダーとして動いてくれている彼にはいつも感謝している。
見えないところでやっている分だけ、周囲から誤解されたりもしているが。
淡々と黙々と仕事を進める彼を見習いたいと思う。

臨機応変

今日の日経新聞・春秋欄を見て思う。
人は非常時にこそ本質が出るのだ、と。

「近年の日本企業は野性味に欠ける感もあったため、連日伝えられる臨機応変の対応に励まされる。人の器はこういう非常時に試され鍛えられるのではなかろうか。実際の出来事を基にしたこの映画では各人物が自分の後ろには誰もいない覚悟で職責を果たす。」

この間ずっと迷っていることがある。
私が今のチームでいろいろと手を出しすぎているから、彼女は覚悟が固まらず、結果として顧問先に対する不平不満を当然の如く口にするのではなかろうか?と。
覚悟を固めるしか無い状況に追い込むことで、彼女にこのチームでの仕事の面白さを(強制的に)実感させた方が良いのではないか?と。

ただ、彼女にその“器”があるのか?と不安に思う。
今のチームになって2回目の決算。
昨年の今頃は連日残業時間になると事務所内で号泣していた。
それに比べれば今年はマシだが、その代わり他人(前任者)や顧問先に対する攻撃性が増している。
根本的に人としての“強さ”がないのだろうと思う。
そんな彼女に覚悟を求めたとて覚醒する保証はなく、むしろ折れるリスクの方が高い。

私はこのチームの管理者でもなければリーダーでもないのだけれど。
そんなことをグダグダと考えながら自分のあり方に悩んでいる。

そう言えば、一昨年から昨年上半期にかけての自分のテーマが「来た球を打ち返す」だったことを思い出した。
岸田文雄の姿を見て、そして二階俊博の凄さを見せつけられて、それで選んだテーマだった。
今の自分が課題をクリアできているかは分からないが、それでも以前に比べれば多少は融通がきくようになったかもしれない。(杜撰でいい加減になっただけかもしれないが)

昨年下半期からのテーマは「人との関わりの中で自分のなすべきことを見つける」。

傲慢だろうが、やはり私の根底には母校で徹底的に植えつけられた“エリート意識”があるのだな、と自覚する。
自分に力があるのならば、能力があるのならば、それを必要としている人のために使わなければ価値がない、そう思う。
それこそが、高校3年間「君たちはエリートだ。いずれこの国を動かしていく人材だ。だからこそ、受験のためだけではない知識を学ばなければならない」と言われ続けた意味なのだろう。

話を戻す。
ボスから「(今の法人の仕事)チームが1人になってもやる気あるか?」と尋ねられた。即座に「それでもやりたいです。もちろん、パートさんの手を借りなければいけないときは出てくると思いますけど。それでもやりたいです」と答えた。
根底にあるのは、自分の中にある「満たされなかった子ども」の部分を救いたい想いで、決して崇高な理想を持っているわけではない。
ただ幸いにして、私は今の仕事を通じて、子どもたちを支える人たちを少しだけ後ろから支えることができる立場にいる。だから即答した。(ここだけの話、大好きだった塩崎恭久が里親として活動していることも少しだけ理由にあったりするのだけれど)

これからどうなるかは分からない。
ボス含め、上長sがどう考えどう判断するのか。
当分はまな板の上の鯉。
判断が下されたら、そのとき臨機応変に対応するしかない。

死にたがりの枢木スザク

季節的なものもあり、いつもの“悪い虫”が騒いでいる。
死にたがりの枢木スザク
Blueskyで度々言及してきたこと。

悪夢の始まりだったメーデーとその前後の日々は精神的に不安定になる。
誰に言ったとて仕方なく、どうしたところで過去は変わらないわけで。
できることは、この地獄の季節が過ぎ去ってくれることを祈るだけ。
長男坊(黒猫)という精神安定剤を失って2回目の春。
去年は仕事の忙しさで何とか乗り切った。
今年も同じ手を考えているけれど、難しいかもしれない。
次の手段を講じなければ。
私なりの今年の対応策はチャリンコ。
どうせ繁忙期は毎週末事務所に出勤するわけなので、せっかくだから自転車通勤すれば良いのでは?と考えている。
日光を浴びてセロトニンを作れば、少しはメンタルも回復するだろう、との目論見。
果てさて上手くいきますやら…

この間ずっと読書記録を書いていない。
反省。
そして何より、恩師の言った通りになっているのが悔しい。
敬愛する恩師への“リベンジ”として、4月の課題図書を決めた。
『日本は「右傾化」したのか』小熊英二・樋口直人編(慶応義塾大学出版)

昨年の課題図書として挙げていた吉田茂と岸信介やテロルの真犯人はまた夏頃にでも。
今年は(これから数年間は)鶴岡に行けそうにない。
加藤の命日は加藤の著書を読んで気持ちだけ鶴岡に向かおうと思う。

望郷 土屋竹雨作
 故国山水多清暉
 日帰日帰猶未帰
 一夜夢乘皓鶴背
 遠向明月峯頭飛