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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

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「守る」とは

ここ数週間、手を取られ続けていたお客様がいた。
そのお客様への対応のために休日出勤が必要となり、また他のお客様への対応が後回しになっていた。
状況は当然上司にも報告し、休日出勤の許可を得て対応していた。

先週ようやく終わりが見えてきたところ、上司からそのお客様との契約破棄を伝えられた。
先方の意向ではなく、こちら側からの契約破棄である。
まだ事務所内で公表されてはいないもののいずれは明らかになる話。
同僚(といっても役職持ち)にその話を伝えた。
彼から返ってきたのは「良かったじゃないですか」だった。
確かに客観的に見れば❝良かったこと❞なのだろう。
手だけかかり、実入りは少なく、そして疲弊だけしていく❝作業❞。
そういった❝面倒ごと❞から解放されたと受け取るべきなのかもしれない。
それでも......

お客様を守れなかったとの思いが拭いきれない。
自分の甘さ、心の中にあった状況への甘えを今突きつけられている。
お客様を「守る」ために自分は精一杯努力したのか?
真剣にお客様と向き合ってきたのか?
状況に甘え忙しさを理由にして適当に付き合ってきたのではないか?
ときに厳しいことも言わなければいけない、ときに相手を怒らせてでも喧嘩をしてでも指摘しなければいけない。にもかかわらず、それを避け自己保身のために❝優しい❞ことだけ言ってやり過ごしてきたのではないか?

正解は単純なものではないのだろう。
上司には上司なりの理由があって契約破棄を決定したと分かっている。
経営判断の中で新規顧客への対応も考えていたはずだ。
全体を見ての判断だからこそ、一従業員の立場で何かを言えるはずもない。
ただ私自身の今後を考えたとき、今回の悔しさは忘れたくない。
だからこそ、このブログに書きとめておく。


追記
このお客様との一件だけをもって「守る」ことを考えたのではない。
別のお客様からお尋ねのあった件を上司に相談した際の上司の厳しさ、原則を揺るがせない姿勢を見て思い知らされた。
お客様を守るというのはどういうことなのか。
自分が❝いい人❞であろうとしてはいけない。それが伴走者の役割・務めだと。
自分の中にある「❝いい人❞でいたい」欲を乗り越え、ときに恨まれ嫌われても伝えるべきは伝えなければいけないと。
そして伝えるべきことを伝えるためには、それだけの知識・経験の蓄積が必要なのだと。

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