2年ぶりのブログ更新。
誰も見ていないとはいえ、さすがにサボりすぎと反省する。一昨年の半ばからずっと走り続けてきた。
本を読む量も極端に減った。読む本も所謂ビジネス書と呼ばれるものが多くなった。
新聞は紙を広げて読むスタイルから電子版メインになってしまった。
人としてどうだろう?と思いながらも、自分に言い訳をして今の暮らしを続けている。
大学時代の恩師・小田中直樹先生から言われた言葉をかみしめる。
「古典と呼ばれる本、思考を深められる本を読めるのは大学生のうちだけですよ」
「社会人になればビジネス書や仕事に必要な本しか読めなくなりますからね」
ヒトラーの『我が闘争』やダーウィンの『種の起源』が経済学部生の読むべき古典だったかはさておき、今となっては読んでおいてよかったと思う。
私の場合、幸いにして資格試験の受験専念期間があった。
そのときウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』を読む時間がとれた。
読んだからどうだったというわけではない。何かを得たと言えるほど読込めたわけでもない。
それでも教養として「ウェーバーの本を読んだ」「思想のエッセンス的なものに触れたことがある」というだけで意味がある。自分の中にMax Weberという本棚の枠だけでも作っておけたのだから。(ゼミで『プロ倫』を読んだ以上、本棚はできていたのだが)
ということで、もうそろそろいい加減積読を減らしていかなければならない。
神野直彦先生の『財政学』(有斐閣)は体力のあるうちに読んでおかなければ一生読めない予感がする。
ハーバーマスから攻めるか神野直彦から先に手を付けるか悩ましいが......。
次の読書記録は、佐藤直樹の『桜とは何か』(河出新書)。
『不平等社会日本』『桜が創った「日本」』は大学時代に読んでなかなか衝撃を受けた。
今回どのような感想を持つのか、何を考えさせられるのか分からないが、落胆や反発しか残らなかったとしても記録として残したい。
今月末のブログ更新を目標に、まずは読了を目指す。
追記
加藤紘一著『テロルの真犯人』の読書記録は加藤の命日(重陽の節句)が近付いた頃に上げたいと思います。
もうこれ以上暴力によって政治的な目的を達成しようとする人間が現れないことを祈って。
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