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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

袖触れ合うも…

袖触れ合うも他生の縁、ならば
同じ事務所で働く縁というのはなんなのだろう?
(今生の縁なのは間違いないとして)

昨夜、今日の予定を考えていて、どこかにお参りしようと決めた
今日はせっかくの有休で、ダラダラしても良かったし、リモート作業しても良いなと思っていたけれど
自分の性分から考えて、有休に家でダラダラするとろくなことにならないと思ったから

そして今日、いくつもの理由があって南御堂(難波別院)に行ってきた

1つは来月からの通勤ルートの確認
9時半頃だったけれど、やはり御堂筋線は混んでいた
次の事務所はフレックスを導入しているから、できれば8時〜勤務にしたいのだけれど
初日は定時(9時)に出なければならないだろう
そうだとすれば混むだろうな、と予想して乗ってみた
ラッシュのピークは今日よりも酷いんだろうな…😮‍💨

2つ目の理由は、明日しか会えない人がいて、その人にほんの少しだけ気持ちをお菓子として渡したかったから
土日からずっと探して考えてたけど答えがでなくて
だから今日は梅田で探そうと思っていた

3つ目の、そして最大の理由は
何かしていないと落ち着かなかったから
祈るしか、想うしかできないというのは、私にとってかなりの苦痛で
特に今回は自分が何かをしたわけでも無いだけにキツくて
思い入れだけあって、でもただ眺めていただけの身で
だからせめて何かしたくて
それで南御堂にお参りに行った
お参りしたとて何かが変わるわけでもないけれど、自分の心を落ち着かせるために動かずにはいられなかった
(ただの自己満足)
もちろん成功してほしいとか、成果が出てほしいとか、そういう気持ちも無いわけではないけれど
それ以上に、この縁が大切だからこそ「無事に帰ってきてほしい」があって
阿弥陀さんにお願いするのも違うなと思いつつ、とりあえず“弥陀の本願”にすがってみるか…と思ってお参りした












私はこれまで、このブログで“弥陀の本願”とか“他力本願”を書いているけれど
好きな言葉は
「人事を尽くして天命を待つ」と「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
つまり、限界突破した感覚があって初めて自分のなかで納得できる人
だから今回は自分のなかでずっと不完全燃焼
祈っても想っても全然足りないほど不完全燃焼
悔しさ以上に「物足りない」

この物足りなさを忘れないようにしよう
ここでの縁を抱きしめていくために
自分が独立するとき、きっと支えの1つになるだろうから

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