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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

あと2ヵ月

連日のブログ更新
意図していたわけではなく、昨日はただ怒りに任せての書きなぐりだった
そして今日は意図して、区切りとして書く

この事務所にいられる時間もあと2ヵ月
放っておくと様々な想いが込み上げてきて泣きそうになる
引継書を作っていて、先方とのやりとりを思い出して泣きたくなる
どの法人にも、どの人達に対しても消えない想いがあって
私は、本当にうちの事務所のお客様達が大好きだったんだと痛感する

前にBlueSkyで書いたかもしれないのだけれど...
私がなぜボスを信じられると思うようになったか
それはお客様からボスへの信頼を感じたからだ

企業経営者はシビアだ
孤独だし、その背中には大勢の生活を背負っているし
人生を賭けているし、場合によれば命だって賭けている
そんな経営者達が、それも長年経営やっている人達が、あそこまでボスを信頼している
だから私はボスを信じられると思った

私は自分の人を見る目の無さは自覚してて
だから自分の判断をあてにしていない
でも、これだけの数の経営者が頼るってことは信じていいだろう、と思った
そして今、やっぱり経営者達の目は確かなんだなと思っている

私が引継ぎで手放していった法人の経営者、代表の方々
人だから当然クセはあるけれど、どの人も根はすごく真っ直ぐな人たちで
イラっとすることがあっても、でもすぐ流せる程度のことばかりで
そういう人達がお客様として集まっていること自体が凄いこと
きっとボスの人柄や“人徳”のなせる業なのだろう
(現パートナーの1人が、かつてボスをそう評していた)

ボスのいる世界、見ている世界は、私には到底たどり着けない世界で
それでも、自分もこれからの人生で自分を磨き続ければ、もしかしたら少しは近付けるかもしれないと思わせてくれる不思議な存在
その姿を近くで見られるのもあとわずかだ
あの真っ直ぐな背中を後ろから追いかけられるのもあとわずか

本当ならばもっとずっと見ていたかった
背中を追いかけて、仰ぎ見ていたかった
自分からその関係を手放した人間が言って良いことではないのだけれど

「もしもあの日に戻れたとしても 同じ道を辿ったことだろう」
いつかそう言って笑える日が来るように
選んだ道が正解だったと言えるようにするしかない

これから2ヵ月
(もしかしたら退職してからも)
たぶん毎日半ベソかきながら過ごすんだろう
泣きながらでも進むしかない
その先に小さな夢が叶う日が来ると信じて

思い出話

今日、本当にむかっ腹の立つ出来事があって、完全に腸が煮えくり返っていて、それでボスと副所長に直接伝えた
(巻き込んだうちのチームリーダーごめん…)

うちの事務所はいろいろと細かいローカルルールが多い
各人別のローカルルールなのか、それとも事務所全体のローカルルールなのかも分からない
長くいる人たちは平気で「これがうちの事務所のルールよ」と言うけれど、でも更に長くいる人に聞いたら「それね、前は無かったけどいつの間にかできたの」とか言われたりする
つまり新しく入った人間にとって、ローカルルールを身につけるだけでかなりメンタル削られる
1回1回は大したことなくても、溜まってくるとかなり削られる
言いたくはないが伏魔殿だ

それでいて、新しく入った人間に誰かが教えるような仕組みもない
教えていくのはあくまでもそこにいるメンバーの善意と、仕事を回すための要請からだ
かつてはメンター制があったらしいのだが、それをやめて久しく、そして長くいる人というのはメンター制時代に居着いた人達のようだ
(なんたる不条理)

そして「Qが無ければAは無い」という言葉を金科玉条のように振りかざす
つまり、分からない側から聞かなければいけない、のだと
聞かれなかったから教えなかっただけで、教える仕組みを作らなかった側には落ち度はない、らしい
(クソったれだ)
(毛語録でも掲げて「造反有理」とか言っとけ、マジで)

久方ぶりに宮城県の副委員長と喧嘩したときのことを思い出した
「我々は前衛であり、それは科学的に証明された事実だ」
「前衛政党の党員として、後衛たる民衆を啓蒙しなければならない」
いま思い出しても腹が立つ言葉だけど
「教条主義とはこういうものか…」と思ってちゃんと噛み付いた18歳の自分を今なら褒めてやりたい
(あの頃は絶望してたけどな)

20代の子たちがまだいた頃
何度か事務所内の業務改善目当ての全体打合せが開かれた
そこで入って1年未満の20代組+私が、いろいろ細かいながらも不便を感じてることを伝えたことがあった
結果はどうなったか?
長くいる人たちから「それってそんなに不便?」「別によくない?」「郷に入れば郷に従え」「みんなにとって良くなるなんてことないねんから、今のままでええやん」と
あのときも強く思った
「だったら聞くなよ…自分たちにとって都合の良い話を聞きたいだけなら、わざわざみんなの時間を押さえてまでこんな会議開く意味ないだろ」って

今日は(そして先月のグループ面談でも)あの頃のことを、2年ほど前のことを思い出した
私はあのとき「変えてほしい」と言った側の唯一の生き残りだった
そしてその私も再来月には消える
こうやってこの事務所は続いていくのだろう

本当に片思いだったな…私
人生初の大失恋だ


追記

この間も書いたように、最近拓郎をよく聴く
『僕の人生の今は何章目くらいだろう』
「グロースの翼」でウルフルズバージョンがかかっていて、あれも好きなんだけど
私は大学のときに聴いてた拓郎バージョンの方が好きで
どうしても父を思い出すことが増えた
父の生まれ故郷も今回の地震で大きな揺れがあったらしい
鹿児島県の町名が流れてくる度に、一度も行ったことのない父の生まれ故郷を思い浮かべる
そして…
うちの事務所を辞めていった熊本出身の女の子のことも思い出す
このブログで度々言及してきた20代の女の子と、その熊本出身の女の子は同い年
私は、あの2人をお互いにいがみ合わせるような関係にしてしまった大人として、ずっと申し訳なさを持っている
それぞれが辞めていくとき、2人からお互いに対する気持ちを聞いたから
本当は友達になりたかった、と
貴重な同い年として、もっと違う形が作りたかった、と
もっと優しくなりたかった、と
でもできなかったと

落ち着いたら彼女に連絡する
彼女の大切な人達が無事であることを祈って

弥陀の本願

たまに特定の音楽が頭の中に流れ続けるときがある
最近始まったことではなく、中学時代から稀に起きる現象
中学3年のときは2週間くらいぶっ続けでナウシカの曲が流れ続けて難儀した

今日の夕方、なぜか突然、頭の中に吉田拓郎の『外は白い雪の夜』が流れ始めた

きっかけは分かっている
週末に拓郎のアルバム『PENNY LANE』を聴いたからだ
久しぶりに(10年くらいか?)2枚組アルバムを通して聴いた

もともとは父の趣味だった吉田拓郎
子どもの頃から聞かされていた
両親が別れたあと、母は私が拓郎の曲を聴く度、いい顔をしなかった
母の気持ちも分かるから、あまり聴かないようにしていた
でも最近は遠慮する必要がなくなって
だから先週末に聴いた

いま曲や詞を思い出しながら、なぜ勝手に脳内を流れたのか考えている

「傷つけあって生きるより なぐさめあって別れよう」
「Bye-bye Love そして誰もいなくなった Bye-bye Love そして誰もいなくなった」

たぶんこの歌詞なんだろうな、と思う

辞めると決めてから毎日思い知っている
自分がどれだけこの事務所を好きだと思っていても、私には…

所詮はこれまでの人生と同じで
想ったとて居場所はない
居場所が欲しければ自分を捨てるしかない
そして私は自分を捨てられない

結局、母方の2番目の伯父が大学生の私に勧めた道は正しかった
「国税専門官になれ。なって一定勤めたら税理士になれる。税理士になって独立し」と
20年ほど前の話だ
いろいろ遠回りをして、最終的に落ち着くところに落ち着いたのだろう

私は「群れたい、群れたい」と思いつつ、でも結局は群れることができない人間で
誰かに触れたい甘えたいと思いつつ、最後は自分から離れてしまう人間
いい歳して、まだ“ヤマアラシのジレンマ”に囚われている

いつかは変われるのか
恐らくは変われないのだろう
私が私である故に

“浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし”

次男坊

やっと少しずつ生活が落ち着いてきた
まだ家の中で片付けなければいけないところや、もう少し模様替えしたいところもあるんだけど

仕事に関しては、面接も終わり次の行く先も決まった
そして、その先の生き方も

私が少し落ち着いてきたのを理解してか、次男坊くん(キジトラ)が最近は特に甘えたになってきている
もともとは長男坊(黒猫)にべったり甘えて、お兄ちゃんが添い寝してくれないと鳴いて呼びつけてた子
お兄ちゃんがいなくなって1年半
家の引っ越しも経験して、この子なりに精一杯我慢していたんだと思う
朝出かける前、夜帰ってきてから、そして休みの日
時間さえあれば膝に乗ろうとするし、一度乗ったら動こうとしない
正直、家事する時間が無くなるから困るんだけど
(世の中の猫飼いさん達は一体どうしてるんだ?)

寂しさゆえの甘えただと思おうとしているけれど、恐らくそれだけではないだろう
最近は飲水量も尿量も排尿回数も少しずつ増えてきた
高齢猫にありがちな腎臓の問題が起きてきているんだと思う
小さい頃から尿路結石や熱中症に何度もなってきた子
気を抜くといつ再発するか分からないから、食べ物も室温も気をつけているのだけど…
そして、この子は子どもの頃からずっとおねしょの常習犯
だから夜は一緒に寝られない

あと何年この時間を過ごせるだろう?

「この子を見送る」と考えたとき、ホッとする部分もある
この子を路頭に迷わせず、ちゃんと最期まで看取れるから
飼い主としての責任を果たせるから

でもこの子がいなくなったあとの生活を考えると恐ろしくもなる
自分が自分であり続けられるか分からなくなる
自堕落な自分の性格からして、守るべき家族がいなくなったら本当に適当な生き方をしてしまいそうで

次男坊以外の、自分を社会にとどめておくアンカー(錨)が必要だなと思う
今のところ、その役割を担っているのが仕事と献血で
でもそれだけではどこかで行き詰まるからこそ、何かを見つけなければと焦る
(町会の班長しろ!とかご近所の人達に言われそ)

世の中の人はどうやって生きてるのかな?

手許に本もKindleも無いタイミングで膝上に乗られてしまい、グダグダ考えてスマホいじるしかできないから
こんなことを書きつける日曜日の午後

ボトムズ

悔しさが無いわけじゃない
いや、違う
悔しい
のたうち回りたいほどの悔しさがある
そして言葉にできないくらいの焦りもある
こんな悔しさ久しぶりだ
(そして予感もしていた)

某有名アニメのOVAに関わっていたとき“大人の事情”で設定資料が手に入らず、全く工程が進まなかった
元請からは「とにかく進めろ」と言われ、現場からは「設定持って来い」と言われ、完全に板挟みだった
元の制作会社のOBだった演出家が目を盗んで(目こぼししてもらって)設定資料を現場に持ってきてくれて、それでなんとか進めている状況だった
板挟みが数ヶ月続いて、結局私は耐えられなかった
私が辞めた直後、上の方で“握った”結果、普通に設定資料が共有されるようになった
その後、そのOVAは無事に発売され、それなりに話題となり売れた

先日、加藤紘一が外務省を退官した後の話をここで書いたとき、かつてアニメ業界で経験したことと同じようなことが起きそうな予感はしていた(過去ブログ「あと3ヵ月」参照)
うちの事務所が大きな仕事を取るだろうな、という予感は

ボスはそのつもりで動いていたし、そこまでするからには勝算あってのことなのだろうと思っていたから

そして今
予感していたとはいえ悔しい
どうにもならないほど
叫びたいほど
悔しい
加藤紘一の悔しさには遠く及ばないのだろうけれど、でもやはり悔しい

昨日今日と立て続けに起きた出来事
この悔しさを忘れない
“最低野郎”のときに感じた悔しさ・苦々しさを忘れていないように
この悔しさを糧にしてみせる
そうでなければ意味がない

毎日毎日「もっとこのお客様の仕事をしていたい」「ずっとこの会社を、この法人を見ていたい」と思いながら、泣きそうになりながら、それでも進む意味がない
大好きなお客様、大好きな仕事、大好きな人達と離れて別の道を進もうとしている意味がない

だから今日は目一杯のたうち回る
明日からもう一度、自分の想いと向き合うために


追記
私は基本的に負けず嫌いで、そして本質的に楽天家だ
(でなければこんな癇癪は起こしていない)
だからこそ外から私は自信家に見えるときがあるのだろうし、その“自信家”の鼻をへし折ろうとする人たちがときたま現れる
かつての思い出したくもない奴とか、うちの父とか
だから私の鼻っ柱は何度もへし折られてきたし、その度に繋ぎ合わせて今に至っている
そんな私が好きな言葉の一つが『スレイヤーズ』のリナ・インバースの台詞
「勘違いしないでよ。 あたしは『負けるとわかってはいるけど戦う』ってぇそのこんじょーがけしからん、と言ってるわけで、『負けるからやだ』なんぞと言ってるわけじゃないのよ。 いい? たとえ勝てる確率が1パーセントほどだとしても、そーいうつもりで戦えば、その1パーセントもゼロになるわ。 あたしは絶対死にたくない。 だから、戦うときは必ず、勝つつもりで戦うのよ! 」
この言葉の通り
私は諦めていない
万に一つの確率だったとしても
大好きな人たちと再び一緒に仕事する夢を諦めない
いつかきっと...の想いは、ずっと持ち続けていく

『滑走路』

今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば 「風景画」
かろうじてある現在よ ぼんやりと夜空に浮かぶ月をながめる 「光る蛇」


去年の12月半ばに引越して、それから段ボール箱に詰め込まれたままだった本を、今日ようやく本棚に並べた
まだ全てを並べ終えたわけではないが、あらかた終わった
そしてようやく萩原慎一郎の歌集『滑走路』を出してきた

まだ税理士試験受験生だった頃、腫瘍が見つかった
当初は部位が部位だけに医者も顔色を変えて「ご家族は?」「紹介状を書くので今週末にはそちらに行ってください」と言われた
精密検査を2ヵ月ほどやって、結果当初想定されていた部位ではなさそうということで落ち着いたのだが、その間あと数カ月で自分がこの世からいなくなることを想定した準備を進めた
死んだとき、どこに連絡してもらうか
自分がいなくなったら(その前に体が動かなくなったら)長男坊と次男坊の世話をどうしてほしいか
残された時間が半年も無いかもしれないと考え、残り僅かな時間でできるだけのことをしようと走り回った
結局その年は精密検査の2ヵ月と手術・入院の1カ月、退院後の定期通院・検査期間の1カ月でまともに勉強ができない期間が多く、挽回できないまま本試験を迎えた

クローズアップ現代で萩原慎一郎の歌集を知ったのはその頃だった
非正規、先行きへの不安、それでも夢見る未来へのかすかな希望
当時なぜか強く惹かれて、Amazonで急いで買った記憶がある
手元に届いた頃は何度も読んだ
なぜこれほどの才能が死ななければならなかったのか...と思いながら

税理士試験に合格して前の事務所で働き、コロナ禍で身の回りの状況が一変し
いつの間にか本棚に置いたままになっていた
いまの事務所に入った頃、少しだけ開いたこともあったけれど、あまりに心が揺さぶられてしまい、自分の日常が揺らぎそうな気がしてすぐに閉じた

今日、本当に久しぶりに落ち着いて読んだ
いまの自分に響く言葉を探しながら

冒頭にあげた2首は今日強く印象に残った短歌のうちの一部
きっとこれからも何かあったとき彼の言葉を読み返すのだろう
そして彼が生きられなかった40代50代を私は生きていく
ほんのわずかな偶然で繋がった今の命に感謝して
命を繋いでくれた人たちを忘れずに

消費税法

昨日、ようやく表のブログに挨拶文を投稿した

本格的な記事の1本目に何を書くか
自分の興味関心や、ここ最近の仕事の状況から、消費税のある論点を書く予定だったりするのだけれど
ちゃんと書こうとすると調べ直しが必要で、そのために昨日(日付変わって今日)も1時まで本と睨めっこしていた

私がいまの事務所に入るときの面接で聞かれたこと
「得意だった税法は?」
誰に聞かれたかは覚えていないけれど、そのときの自分の答えはよく覚えている
「特に得意という税法は無かったですけど、消費税法は好きです」

正直言えば、内閣3つも吹き飛ばして成立させた大型間接税だから好きなのだけど

一般消費税にまさに命を懸けた大平正芳、長期政権でも通せなかった売上税の中曾根康弘、そしてリクルートコスモス株で政権のライフゼロでも消費税法を通してみせた竹下登
中曾根康弘内閣末期以降は記憶しているから、いまの消費税が成立したときのあの政権状況を思い出したとき「よく通せたよな」としみじみ思う
年末まで臨時国会開いて消費税法と関連法案を通し、戦後初の大喪の礼を執り行い、予算成立のため自らの首を差し出し退陣していった竹下
(参考:徹夜国会の末に消費税導入決定|ニュース|NHKアーカイブス

もしも消費税が廃止になったとしたら、もう一度あれだけの政治エネルギーを投じて大型間接税を成立させられるのか?
それだけの信念を持った政治家が今どれだけいるのか?
そんなことをつらつら考えながら、今日もまた消費税法基本通達逐条解説と睨めっこする


追記
本当は法人税法の新しい基本通達逐条解説も購入したい
最新版が12訂版、我が家にあるのが9訂版(平成30年12月改正まで)
いくらなんでも古すぎるから、最新版をと思うのだけれど
如何せん重たい
今日も三宮センター街まで行ってきたけれど、買って帰ってくるには...ただただ重い
今週は一週間で5件の面接と1件の面談をこなして、さすがにヒットポイント0
もうちょっと体力が回復してから、もう一度買いに行こう

『さくら咲いた』

いや、まだ咲いてはいないのだけれど…
まだこれから面接で、次は何も決まってないのだけれど
でも、自分のなかで、やっと少しだけ区切りがつき始めた

区切りの1つはサクラ大戦・新歌謡ショウの『さくら咲いた』を聴けるようになったこと
今年1月末に池田勝さんが亡くなり、思ったよりもショックが大きくて、ずっとサクラ大戦の曲を聴く気分になれなかった
私にとってはサクラ大戦=米田大戦で、米田一基=池田勝だったから
新青い鳥のとき、夜の部の公演が終わって青山劇場の外で少したむろってたら、劇場の表からシレッと帰って行く池田勝さんを見かけたことがある
背筋が伸びていたことと、思ってたよりも小柄だったことしか覚えていないけど

もう1つの区切りは「思い切り泣こう」と吹っ切れたこと
大切なものを失って悲しくないわけがない
だからちゃんと泣こう、と思えた
大好きな仕事、大好きな場所、大好きな人
それらを失うのだから、悲しくて当たり前なのだと
縁があれば、いつかまた道が交わることもある
それを信じよう、と
(西田さんのように、もう二度と会えないわけではないのだから)

これからの数年間、「いつか…」という小さな希望を持ち続けて進む
期待はせず、でも想いは持ったまま
大好きな人達との道が交わる日を願って

そしてもしもその願いが叶ったなら
そのときは『さくら咲いた』と言える気がする


20年前、真夏の青山劇場に咲き誇った桜を思い浮かべながら
20年前に叶えられなかった夢を想って
今度こそは

打率

四捨五入して3割6分4厘(11打数4安打)
現在の書類選考通過率をどう考えればいいのか?
野球で考えれば、首位打者争いできそうなのだけれど

自分の年齢、自分の経歴を考えれば、極めて良い方なのだろう
しかも応募する時点でパブリックセクターをやっている事務所に絞っているから、あとはもう個別に(直接)問合わせるしかない
最悪、なし崩し的に独立するという手も考えている
ただし何の準備もしていないなかでの独立は、本当の最終手段だけれど

来週は面接ラッシュ
正直、気が重い
いま既に逃げ出したい気分になっている
事務所の端っこすみっこで丸まって、ちまちまと仕事をして、隠れて暮らしたい
(辞めるからできないけれども)

来週は金曜日に最大手の面接が控えている
それが一番しんどい
自分がこれまで何度もWEBセミナーを受けて学んできた相手
ダメもとで出したから書類選考で落ちる気満々だった
それがまさかの面接
マ ジ 逃 げ た い

どこか隅っこに隠れてちまちま仕事できて、それでいて楽しくパブリックセクターの税務やらせてくれる場所はないだろうか
楽しい“玩具”さえ与えておいてもらえれば、それだけで幸せなんですけどね?私は

こんなグダグダ考えるのも、辞めると決まって公表されてからの事務所の空気がしんどいからで
辞める人が有給消化したがる気持ちがよく分かる
自分でも「さっさと引継ぎして有給消化に入ろうか」と考えたりする
実際はいまの事務所の状況的にそんなことできないのだけれど
やることあるし、引継ぎ先の人達はいま殺気立ってるし
何よりも、大好きなお客様たちと、もっと接していたいから

さて、今日はダメもとの問合せメールを送ってみた
求人募集していない事務所に一方的なラブレターを送りつけた
普通に考えれば、めっちゃ嫌な奴
ある種の“ストーカー行為”
まずはお返事が来ることを祈ろう
自分で動けば、とりあえず何かの縁にはなるだろうから



追記

大学卒業前とアニメの専門学校に通ってた頃の2回、同じアニメーション制作会社に求人募集の有無を電話で問合わせたのを思い出した
タツノコプロ
赤い光弾ジリオン、天空戦記シュラト、エヴァの制作部門(進行部分)やOVAのサクラ大戦
自分にとっては憧れの制作会社だった
でも当時は経営に行き詰ってタカラの傘下になった頃
全く制作の募集をしていなかった
本当にタツノコとは縁がなかった
それから流れ流れて税務の世界に入ることになって今がある

私がずっと大切にしているボスの言葉がある
「所詮は“縁”やからな」
言われた当初はすごく反発し、そして自分の人生を振り返る度に言葉の深さを思い知った

アニメの世界とは縁がなかった
ならば、パブリックセクターの税務との縁は?
ぜひ有ってほしいと願うし、今度は自分から縁を作りに行く

七夕

1年前、有給を取って万博に行っていた
2年前、長男坊(黒猫)の癌が見つかった

いまの事務所に入って、大切なものをたくさん失った
一番ダメージが大きかった(大きい)のが長男坊
私が一番苦しかったとき、ずっと黙ってそばに寄り添ってくれた子
我が家にやってきてから亡くなるまでの11年7カ月弱、ほぼ毎晩私のそばで眠ってくれた
どれだけしんどくても、苦しくても、あの子の温もりに触れていたらいつの間にか落ち着いて眠れた

いまの事務所に入ったばかりの頃
事務所の空気感、雰囲気に馴染めず、正直毎日苦しかった
自分がいかに人並み未満の人生を歩んできたか思い知らされて、何度も辞めたいと思っていた
それでも「続けることでしか自信はつかない」と言ってくれた人の言葉を信じて、とにかく続けようともがいた
あの頃、長男坊が横にいてくれなかったら、私はもっと早くいまの事務所を辞めていただろう

事務所に入って半年ほどたった頃、少しだけ自分の居場所が見つけられたような気がし始めた
事務所の隙間、隅っこに自分が入り込める気がした
少しだけ事務所の中で呼吸ができるような感じがし始めた頃、長男坊に癌が見つかった
あのとき、あの子の命をどうやって延ばせるか調べ考えながら、頭の片隅で感じていた
あの子は、自分がいなくても私が生きていける、そう思えたから癌になったのではないか?と
非科学的であり得ないことだけれど、そんな考えが浮かんでいた

長男坊の闘病は5カ月ちょっと続いた
その間、前のチームの面々が事務所を辞めていった
独りとり残される寂しさを抱えながら、でも目の前の長男坊の看病と仕事に追われて、気づけば事務所に入って1年が過ぎていた

去年の今頃は新しい家のことで走り回っていた
新しい家になれば、母との間にある何とも言えないズレや葛藤も、もう少しマシになると信じていた
新しい家は母の長年の夢だったから
その夢を叶えればもう少し違う関係が築けると思っていた
でもそんなことはなかった


そしていま、私は事務所を辞めようとしている
9月末には辞めることが決まっている
自ら大切な関係を手放した
どれだけ片想いだったとしても、大切な関係だったのに
事務所のことも、仕事も、お客様も、同僚たちも、上長sも、ボスも
片想いでも、自分が望めばこれまでの関係は続けられたのに
それを自ら断ち切った
そして失った

事務所で仕事をしながら「次はこんな風に改善したい」と思っては、この事務所の未来に自分がいないことに気付く
「来年は」「次は」の、❝来年❞も❝次❞も私にはない
自分でそうした
だから自業自得だ
だから透明人間になりたい
淡々と仕事をして、淡々と引継いで、そして


毎日毎日心はジェットコースターで、エヴァの葛城ミサトのセリフを思い出す
「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、そのたびに前に進めた気がする」
前に進んでいる感じはない
むしろ後退しているようにも思える
それでもこの道を進むしかないんだろう
進んだ先に小さな夢やささやかな未来があると信じて
そう想いつづけて

公益法人…?

昨日7月3日有給休暇をとった
体調不良での有給消化ではなく、計画的なお休み

もともとは金曜日から月曜日まで連続して4日間休むはずだった
家の中を片付けて、日常生活を快適にするための環境作りをするはずだった
有給申請したときはそのつもりだった

しかし自分の癇癪のために金曜日は転職活動で潰れてしまった
若干の片付けはしたけれど

今日土曜日は、当初の予定通り髪を切り、三宮センター街でお昼ご飯と本屋と献血を済ませ、休日を堪能してきた

今日の献血は血小板の成分献血
だいたい1時間〜1時間半コース
献血中、あまりに暇でタブレットを使って法人税法別表を眺めていた
(献血ルームにはタブレットが設置されていて、長時間でも退屈しないようになっています)

日本放送協会や日本中央競馬会は公共法人なんだ、とか
税理士会や弁護士会は公益法人なんだ、とか
そんなことを思いながら眺めていた

そして
日本赤十字社は公益法人なのだそうな
公 共 法 人 で は な い

設立の経緯とか名誉総裁とかを考えて公共法人っぽく思っていたのだけれど
宮様方との関係と税法上の区分は別物らしい
その辺はちゃんとしてるんだと感心した
恩賜財団済生会が社会福祉法人なのともしっかり整合している

しかし、結構自由に活動できる宗教法人と、日本赤十字社が同じ括りというのはちょっと…
この辺りはいつ槍玉に上げられてもおかしくないなと思う(過去ブログ「公益性」参照)

基本的に本邦国民は“無宗教”だから
そしてNIMBYを徹底している人が多いから
だから宗教の持つ社会的公益性を示せなければ、いつ「みなし寄付」を取り上げられてもおかしくないと思っている
非営利型の一般社団/財団法人と同じ立場になってもおかしくないな、と

分離独立

 南オセチアやドンバスのようなきな臭い話ではなく
スウィートウォーターやアクシズのようなスペースノイドの自治権云々でもなく

ブログを分離させようかと考えている

仕事用というか表の“コーティング”したブログと、こちらの内面暴露の裏ブログとに分けた方が、後々のために良いのではないか?と考えはじめた
その方がある意味『青の時間』っぽいなとも思う

このブログのタイトルは薄井ゆうじ著『青の時間』からつけた
『青の時間』は、中学の頃NHK-FMの青春アドベンチャーでラジオドラマ化されていたことから知った作品
ドラマの最後がよく分からなかったために原作を探して買って読んだ
原作を読み終えてもやはりよく分からなかった
しかしなぜかずっと引っかかり続けている
私の中にも「ブルー」の部分や「万里夫」の部分、そして「僕」の部分があるよな、と

もともとこのブログを始めたときは、自分の全てをここに統合しようと考えていた
しかし、自分のこれからの仕事や精神安定を考えたら、1つにまとめると無理が生じる
ならば分けた方がスムーズに運用できるな、と

大学の恩師がはてなブログに読書記録や学務で考えたことを記しつつ、Twitter(X)で日常的なことをボヤき呟いているように
(どこまでも恩師の掌の上なのが癪に障るけれど、仕方ない)

自分の思考を社会的にコーティングする能力が、少しは磨かれるだろうか?
或いは、社会的ペルソナを被る訓練になるだろうか?
そんな作用も期待しつつ、少しずつ分離準備を進めていく


しかし…
私、自己認識は「本籍・政治クラスタ政局界隈宏池会周辺」で「住民票・税務クラスタ」だったんだけどな
徐々に本籍が「税務クラスタ公益法人界隈」になりつつある
それもこれも全ては文雄が派閥解体させたせいだし、そもそもは小選挙区比例代表並立制の導入を進めた小沢一郎のせい
この辺りの“恨みつらみ”はそのうちに