台風が接近している。
明日朝、近畿圏に最接近するらしい。
そんな嵐の前の静けさだから…というわけではないが、書きたいことがいくつか溜まっていたため今日は2つ記事を上げようと思う。
先週から何度かボスと話す機会があって、いろいろな話をしている。
もちろん仕事の話なのだけれど、そこから思い浮かぶことは仕事のことだけではなく。
加藤紘一の『テロルの真犯人』の中にこんな記述がある。
“1972年7月5日、福田赳夫氏との激しい総裁選を制し、田中角栄氏が自民党総裁に決定した。その直後の記者会見に臨んだ角栄氏は、居並ぶ記者の1人から以下のような質問を浴びせられた。「国民はいま、7年間続いた佐藤栄作前総理の政治に倦んで何らかの変化を求めています。しかしその佐藤政権で幹事長を務めたあなたは、佐藤前総理とどこが違うんですか?」それは暗に「あなたはしょせん、佐藤前総理の亜流にすぎないのではないか」といわれたようなものだった。すると彼は一瞬にしてキッと居直ったような表情になり、「いいですか、一軒の家でも財布が親父から息子に移ると、やり方も変わってくるんだよ」と答えたのである。その会見をテレビで見ていた私は、「さすがにうまいことをいうもんだな」と心底感心した。”(加藤紘一. テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体 (講談社+α文庫) (pp.95-96). 講談社. Kindle 版.)
いま私が担当している法人の中には代替わりを数年内に控えているところ、代替わりして数年経ったところがいくつもある。代替わりに伴って契約解除されてしまった担当先もあった。
代替わりが迫ってくるとそれまで見えにくかったゴタゴタが表面化したりして、どこも一筋縄で行きそうもない。
そして上手く代替わりしたように見える法人であっても、ボスの目から見たらいろいろ思うところはあるようで。
そんな顧問先の話をしていて、私の頭の中に加藤が紹介した角栄の言葉が浮かんだ。
―財布が移ればやり方も変わる―
それはそうなのだろう。
避けようのない事実なのだろう。
だが財布を受け継いだ本人はともかく、周囲は急激な変化についていけない。
穏やかに緩やかに変えるか、或いは出血を覚悟して一気に変えるか。
中途半端に変わるのは一番得るものが無いのかもしれない。
そんなことを考える。
周囲の人間の立場ではこう思う。
「大国を治るは小鮮を烹るが若し」
加藤の師・大平正芳が好んだというこの言葉。
翻弄されるしかない立場としては、穏やかに丁寧にしてもらえる方が安心できる。
だがあくまでもそれは周囲の人間の勝手な希望。
穏やかで丁寧な手法が経営者として正解である保証は無い。
いずれ、うちの事務所にもそのときはやって来る。
“財布”がボスから副所長に移る日が。
来てほしくないとどれだけ願っても、時の流れを押しとどめることはできない。
そのとき私はどうするのだろう?
いまはまだ何も浮かばない。
きっと、そのときそのときで最善と思われる道を選ぶしかないのだろう。
その選択がどれほど辛く苦しかったとしても。
追記
私はいまの事務所に入った頃からずっと、事務所の構成や状況を“帝国華撃団”だと思って見てきた。ボスはもちろん米田一基で、副所長は大神一郎のようなもので。
いまはサクラ大戦での「サクラ大戦4-恋せよ乙女-」の時期なのかもしれない。
本当はまだまだボスの背中を仰ぎ見ていたいと思うのだけれど。
それはもう許されないのかもしれない。
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