6月が終わる
ひと月前、私はまだいまの事務所で何年も働いていこうと思っていた
いまの事務所で仕事を続けるつもりだった
ひと月前、私はまだいまの事務所で何年も働いていこうと思っていた
いまの事務所で仕事を続けるつもりだった
5月下旬の土曜日出勤のとき、一人きりで仕事をしているなか、極めて危険な精神状態になっていたから、実際にあと何年も続けられたかどうかは怪しいのだけれど
それでも、続けたいとは思っていた
それでも、続けたいとは思っていた
そしていまだに「いまが何かの悪い夢であってほしい」と思う瞬間がある
今朝、私にとっての“親鳥”のような前チームリーダーからLINEがきた
「辞めるんですね?」と
本当は私から感謝も含めてご挨拶したいと思っていた
今日までがうちの事務所との契約期間だと聞かされていた
だからこれまでの感謝と、それからお詫びも含めてご挨拶したいと思っていた
今日のLINEでは上手く伝えられなかった
書こうとすると感情が溢れてしまいそうで
仕事に行けなくなりそうで
だから「これからもパブリックセクターをやれる税理士事務所を探して動いています」とだけ伝えた
前リーダーからは「嫌になって辞めるわけじゃなくて少し安心した」とだけ
そして「また、ランチ行きましょう」と
いまの事務所で出会った人達には色々な想いがある
20代の子達に対して(私も含めて)言ってきたこと、してきたことを考えたとき、本当にいろんな思いが込み上げる
憎しみに近いマイナスの感情も無いわけではない
諦めに近いどうしようもない違和感もある
でもそれ以上に大きな感謝の気持ちがある
出会えて良かったと思える人たちが何人もいる
経験できて良かったと思えることが沢山ある
心がずっと大きく揺れ動いている
悔しさも多分にある
自分自身に対する悔しさも、それ以外に対する口惜しさも
それでも自分で動くと決めた以上は進むしかない
この選択が正しかったと言えるように
そして...期待はせず、でも想いは変えず、常に「いつかきっと」の心を持ちながら
小さな希望を抱いて
あと3ヵ月
たった3ヵ月
きっとその間に「これだけ待ち望んでいた機会を犠牲にしたのだから、絶対に自分の道を進まなければ割に合わない」と思えることもあるだろう
私が悔しがるほどの大きな仕事を、うちの事務所に受注してほしいと思っている
私はいまでもこの事務所が大好きだから
❝選挙が3ヵ月後に迫ってきた1972年9月、私は、地元に帰り、連日選挙区の山間部をあいさつ回りして歩いていた。この年7月には長期政権を誇った佐藤栄作首相が退陣し、激しい総裁選を制して田中角栄内閣が誕生した。それと同時に対中国政策も急展開し、9月末には、田中首相が大平外相、二階堂進官房長官らとともに、戦後の首相としてははじめて中国を訪れた。そして毛沢東主席、周恩来首相らと順調に会談を重ね、ついに日中国交正常化が実現した。中国をライフワークにし研鑽を積んできた私の夢は、国交樹立の直前に先遣隊として北京入りし、交渉の段取りを整える仕事に携わることだったが、すでに前年に外務省を退官していた私には、その夢を果たすことはできなかった。国交正常化のニュースをテレビで見ている自分の状況には、非常に感慨深いものがあった。本来なら、いま後輩が座っているあの席で自分が通訳をやっていたはずだ。その前には中国の担当官と丁々発止の交渉もしたのだろう──その機会をすべて犠牲にしたのだから、絶対に当選しなければ割に合わないと思い、選挙戦にもさらに熱が入った。❞(加藤紘一. テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体 (講談社+α文庫) (p.88). 講談社. Kindle 版. )
昨日面接の予定が入った
今日適性検査も受けた
自分の適性がどのようなものなのか分からない
縁があるのかどうかも分からない
いまはただ“これまでの縁”と“これからの縁”を信じて
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