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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

公益性

 宗教法人の公益性とは何なのだろう?
ここ半年以上ずっと考えている。
法人税法上の「公益法人等」に含まれている以上、何某かの公益性が宗教法人にはある、とこの国は認めているわけだが、その公益性が分からない。
ボス曰く「宗教法人には聖と俗がある。税法や会計の話は“俗”の部分。だからそこからでは見えてこない」と。

では...と考える。
今現在の宗教法人の“聖”の部分とは?
現代社会において公益性が認められるような“聖”の部分が存在するのか?
そのあたりの議論は宗教家自身が考えることなのだろうが、正直、いまを生きている人々にとって宗教がアクチュアルなものとは思えない。
少なくとも日本社会に暮らす多くの人にとって、自らの生き辛さや孤独と向き合うための方法として、宗教は生きた道具ではないと思う。

だからというわけではないが、宗教の公益性を“聖”の部分に求めるのは、少し違うような気がする。
むしろ加藤紘一がNPO法成立に尽力した流れのように、パブリックな領域としての宗教法人、と捉えるべきなのではないか。
つまり「地上5メートルを浮遊する風船」「自由電子化した人々」を繋ぎとめる役割の1つとして宗教団体や宗教法人を捉え直す方が、法的な恩恵としての「公益法人等」を理解できる気がする。(そしてそれはグロテスクな関係を孕むのだが…)

いずれにせよ
宗教法人、宗教界自体が自らの公益性を証明できない、説得できない今の状況では、いずれ宗教法人法の改正や認定の厳格化などが起きるだろう。
社会福祉法人、公益法人、学校法人...と、この間公益法人等の認定基準や会計基準の見直しが進められてきた流れから考えれば、そう遠くないうちに宗教法人にもその流れがやって来る。
そのとき自分の担当する宗教法人、うちの事務所の顧問先をどう守るか。
宗教法人法の規定を守ることは当然として、それ以上に組織の内部統制をしっかりとさせていかなければいけない。
それが、担当先から煙たがられたとしても、その宗教法人を守ることにつながるのだろうから。

今度こそ「“いい人”でいたい」欲と向き合わなければいけないのだろう。

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