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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

ボトムズ

悔しさが無いわけじゃない
いや、違う
悔しい
のたうち回りたいほどの悔しさがある
そして言葉にできないくらいの焦りもある
こんな悔しさ久しぶりだ
(そして予感もしていた)

某有名アニメのOVAに関わっていたとき“大人の事情”で設定資料が手に入らず、全く工程が進まなかった
元請からは「とにかく進めろ」と言われ、現場からは「設定持って来い」と言われ、完全に板挟みだった
元の制作会社のOBだった演出家が目を盗んで(目こぼししてもらって)設定資料を現場に持ってきてくれて、それでなんとか進めている状況だった
板挟みが数ヶ月続いて、結局私は耐えられなかった
私が辞めた直後、上の方で“握った”結果、普通に設定資料が共有されるようになった
その後、そのOVAは無事に発売され、それなりに話題となり売れた

先日、加藤紘一が外務省を退官した後の話をここで書いたとき、かつてアニメ業界で経験したことと同じようなことが起きそうな予感はしていた(過去ブログ「あと3ヵ月」参照)
うちの事務所が大きな仕事を取るだろうな、という予感は

ボスはそのつもりで動いていたし、そこまでするからには勝算あってのことなのだろうと思っていたから

そして今
予感していたとはいえ悔しい
どうにもならないほど
叫びたいほど
悔しい
加藤紘一の悔しさには遠く及ばないのだろうけれど、でもやはり悔しい

昨日今日と立て続けに起きた出来事
この悔しさを忘れない
“最低野郎”のときに感じた悔しさ・苦々しさを忘れていないように
この悔しさを糧にしてみせる
そうでなければ意味がない

毎日毎日「もっとこのお客様の仕事をしていたい」「ずっとこの会社を、この法人を見ていたい」と思いながら、泣きそうになりながら、それでも進む意味がない
大好きなお客様、大好きな仕事、大好きな人達と離れて別の道を進もうとしている意味がない

だから今日は目一杯のたうち回る
明日からもう一度、自分の想いと向き合うために


追記
私は基本的に負けず嫌いで、そして本質的に楽天家だ
(でなければこんな癇癪は起こしていない)
だからこそ外から私は自信家に見えるときがあるのだろうし、その“自信家”の鼻をへし折ろうとする人たちがときたま現れる
かつての思い出したくもない奴とか、うちの父とか
だから私の鼻っ柱は何度もへし折られてきたし、その度に繋ぎ合わせて今に至っている
そんな私が好きな言葉の一つが『スレイヤーズ』のリナ・インバースの台詞
「勘違いしないでよ。 あたしは『負けるとわかってはいるけど戦う』ってぇそのこんじょーがけしからん、と言ってるわけで、『負けるからやだ』なんぞと言ってるわけじゃないのよ。 いい? たとえ勝てる確率が1パーセントほどだとしても、そーいうつもりで戦えば、その1パーセントもゼロになるわ。 あたしは絶対死にたくない。 だから、戦うときは必ず、勝つつつもりで戦うのよ! 」
この言葉の通り
私は諦めていない
万に一つの確率だったとしても
大好きな人たちと再び一緒に仕事する夢を諦めない
いつかきっと...の想いは、ずっと持ち続けていく

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