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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

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2026年10月26日月曜日

続く訃報

福田康夫が亡くなった
「あなたとは違うんですよ」
引きつった顔で言い放った記者会見が忘れられない
前任者の残した負の遺産(ねじれ国会)に最初から最後まで苦しめられた在任期間だった
しかも後任者は本来福田を支えるべき立場にいたのに…

よく伸晃が「平成の明智光秀」と呼ばれるけど、現副総裁様も大概のことしてたよな

私は清和会が大嫌いで、それはTwitter時代からこのアカウントを見てる人には知られた話
でも福田家はいまいち憎めない政治家一族で
達夫の「僕は何が悪いのかよくわからない」発言もそうなのだけど、素直と言えばいいのかバカ正直と言えばいいのか
「言いたいことはわかるけど、このタイミングは止めとけよ」と思うことを平気で言ってしまう一族

福田康夫は、キャラクターとして愛すべきものを持った政治家だっただけに、すごく残念
“保守”というイメージに合う政治家がまた一人鬼籍に入った



そして、先週、村上龍が亡くなったと報じられた
特別に好きな作家だったわけではないのだけれど
高校・大学の頃、『コインロッカー・ベイビーズ』や『愛と幻想のファシズム』『ラブ&ポップ』『5分後の世界』『希望の国のエクソダス』を読んだ
当時(正確には小学4年の頃から)傾倒していた庵野秀明の影響が大きかった

村上龍の小説は、具体的に記憶しているシーンがあるわけでも、自分の人生に大きな影響を与えたわけでもないのだけれど
でも自分のなかでずっと“小骨が喉に刺さった”ような感覚を残している
娯楽性はない
気持ち良くなれるわけではない
読後感も良くない
強烈に印象に残る何かがあるとも思えない
でも、私が読んだ範囲の話ではあるけれど、彼の作品全体を通して、いまの社会に対する「やりきれなさ」というか「座りの悪さ」や「居心地の悪さ」みたいなものを感じていた
宮城の言葉で言うなら「いずい」のようなものだろうか
それが当時の私の何かと共鳴する部分があった
(おそらくいまでも共鳴するだろうとは思う)
(ただ本を読む時間が取れていないだけで)

今回、村上龍の訃報を伝える記事のいくつかで『希望の国のエクソダス』の一節が紹介されていた
「この国には何でもある…(中略)…だが、希望だけがない」
有名な台詞だ
大学のゼミで玄田有史の本を読んだ
あの頃、玄田有史は希望学を唱え始めていた
『希望の国のエクソダス』の一節を引用しながら
もう20年以上前の話

いまの日本に希望はあるのだろうか?
希望があるのならば、なぜ子ども達はこんなにも自裁するのだろうか
この20年以上の時間は何だったのだろうか
村上龍、そして福田康夫の訃報に接して、そんなことを考えずにはいられない

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