もしかしたら、家族とともに住んでいたかもしれない街
結局そうはならなかったけど
圧倒的に良い思い出の多い街
市民球場のバックネット裏で見たシーボルの満塁サヨナラホームランはよく覚えている
(あんまし活躍しなかったけどな、シーボル)
もしも…を全く考えないわけではない
あのとき違う選択をしていれば、全く違う人生を歩んでいたのだろうと考えるときもある
もしも…の人生が幸せだったかは分からない
メーデーの日から続いた悪夢を経験することはなかっただろうけれど、その代わりいま経験している幸せや苦しみや悩みとも無縁の、つまらない人生だったかもしれない
そう考えれば、今の、苦しみや悩みにのたうち回りながら、ささやかな夢や希望を頼りに生きている人生の方が“私らしい”と思う
今日もまた、大切な仕事から引き離された
これがここからずっと続くのだろう
退職の日まで
事務所の隅で息を潜めて、ただお客様と次の人のためになりそうな資料を整理する日々が、あと2ヶ月近く
耐えるしかない
強くなりたい
「裏切られてもいい」と言えるだけの強さがほしい
人の気持ちに流されず、好きなものを「好き」と言える強さがほしい
そして、愛しい人・もの全てを守れる強さがほしい
力ではない強さが
“強い国 (儚い夢)
鋼の力 (優しい心)
あーわたしは 強く(優しく)
ありたい
強い力は 優しさを知って
使わぬ力が 強いとわかる
愛も 憎しみも 力も夢も
涙となって 流れて消える
すべては海へ”
(『劇場版・すべては海へ』作詞:広井王子)
追記
Nスペを見ている
戦後(宮様総理を除けば)最も短命だった内閣総理大臣・羽田孜
こんなにも原爆ドームの発信に前向きに取り組んでいたとは知らなかった
文化庁がこんなにもギリギリの綱渡りをしていたとは知らなかった
かつて、衆議院議員会館で一度だけ羽田孜とすれ違ったことがある
私が勝手にイメージしていたよりも背が高くて、その存在感に圧倒されて、「これが一国の総理を務めた人間なんだ」と印象に残った
いまNスペで、30年以上前の日本の政治(広い意味での政治)の議論を見ていて、あまりに懐かしく
そして今から振り返ってあまりに切なく
私の知る自民党、私の知る“保守本流”はこうだった
…先の大戦はかくも遠くなった
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