私は圧倒的強者に見えるのだろう
端から見れば、放っておいてもなんとかなる強者に思えるのだろう
外形だけ見れば恵まれているようにも見えるかもしれない
多くの人は私の生活実態を何も知らないから
当然、私とて他人の内面や人生・来し方を知らない
だから私も他人の外形しか見ていない
それでも…と思う自分がいる
私のような目に遭ってきた人間がどれほどいるというのか!と叫びたくなる
私は常に考えている
私はどうすればこの人生を避けられたのか?
どうすれば自宅で寝ている最中に誘拐されずに済んだのか?
どうすれば父親からあんな目に遭わずに済んだのか?
どうすれば残業後の職場であんな目に遭わずに済んだのか?
どうすればいまの職場で働き続けられたのか?
出てくる結論はいつも同じ
“私が私でなければ良かった”
そしてこんなことに頭を悩ませている器の小さな自分自身が嫌になる
認知の歪みだろう
被害者にありがちなフラッシュバック的な何かなのだとは分かっている
頭では理解している
ただ心が追いついていかないだけだ
そして心に浮かぶ衝動も、すべてはトラウマ発作的なものなのだと理解している
誰かを試したくなることも、甘えたくなることも、暴力や暴言、そして性的な衝動すらも
全てはトラウマ発作で起こりがちなことだ
知識として理解している
だから必死に抑え込むしかない
これがこれからも一生続く
外からどう見えているかは知らない
私は、人は、常に誤解され続けて生きていく生き物だから
人は常に誤解し裏切る生き物だから
私は理性の箍で自分自身をギリギリと締め付けている自覚がある
理性の箍をはめておかないと、私は私自身を裏切る
そしてその先に待つのは無限地獄だからだ
かつて、他人も家族も私自身すらも、私を裏切った
あのときのことを忘れたことはない
あれは誤解などという生易しいものではなかった
裏切りはどこまで行っても裏切りだ
だからこそ、せめて自分だけは再び自分を裏切らないようにしたい
それが自分自身と大切な人を守る方法だ
大切な人を裏切らず、ずっと信じ続けるために、想い続けるために必要なことだから
どれだけ苦しく誤解されたとしても、私はこの生き方をやめられない
“私が私であるから”
(2026年8月18日19時53分加筆・修正)
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