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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

ノルマ未達

自らに課したはずの課題図書『吉田茂と岸信介』(岩波書店)も読み終えておらず、しかも、その次に読むはずだった『8がけ社会‐消える労働者 朽ちるインフラ‐』(朝日新書)は8月3日に読み終えたにもかかわらず読書記録をつけられていない
重陽の節句にアップするはずだった『テロルの真犯人』の読書記録も未済
ただただ自分が情けない

この間、お盆時期に法人決算に追われたり、8月末からは某法人の役員会に備えた対応に追われたりしていたのだけれど
「本くらい読めたよね?」「読書記録くらいはつけられたよね?」と自分の中の鬼教官が詰めてくる...地獄

実際のところ鶴岡までkindle持って行って『テロルの真犯人』の読書記録をアップしようとしてたわけですが、現地で知り合った方々と楽しいお酒を2日連続で飲んでしまい、自分との約束を守れなかったわけで
とにかく自分が悪いんです

でもまぁ、2年続けて重陽の節句(加藤紘一命日)に鶴岡に行ってきたんですが、良い街ですね鶴岡は
食べ物もおいしいし、空気もきれいだし、空も広いし
そして人は暖かくて楽しいし
大阪に帰ってきて1週間くらいは、魂が鶴岡に残っていたせいで仕事の手が止まりがちでした
母を見送り猫を見送った後は鶴岡に移住したいな、などと夢想しております
おそらく夢で終わるでしょうが
関係人口・交流人口の1人として鶴岡に関わっていくのもありかな、と考えています

さて、いま仕事の関係で、法人税法上の括りでいうところの「公益法人等」に関わることが増えています
公益法人等に関われること、これがいまの事務所に居続ける理由と言ってもいいかもしれません
もちろん税法の勉強とは全く違う知識が必要になり、その度に頭を抱えているわけですが
それもまた楽しみの一つというか...

パブリックとは何なのか?
日本にパブリックな空間を根付かせるにはどうしたら良いのか?
加藤紘一が問いかけ続けていた問題に、仕事を通して関われる
こんな幸せなことは無いと思います
そんなわけで、今日もこれから❝お勉強❞です

追記
加藤紘一がNPO法成立に関わったことについて言及しているHPを2つご紹介

過去の自分・今の自分

 週末、市内を自転車で回ってきた

中学から高校の頃は自宅から芦原橋までよくタイムトライアルをしていた
その頃は25分くらいで行けたけれど、鈍った脚のせいか40分近くかかってしまった
エンジン(心肺)の劣化も目立ってなかなかに落ち込む結果となった

帰路、阿波座近くまで戻ってきてフッと思い立ち左折
川口から本田を抜けて波除に
15年近く前、毎日自転車で走り回った地域
思い出すだけで体の震えとともに後悔が押し寄せてくる場所
あの職場を辞めたときは、港区に足を踏み入れる日が来るなんて思ってもいなかった


あのときにお世話になったH田さん、ずっと気にかかっていたY岡さんの工場を探す
少し町並みは変わったけれど、見た記憶・走った記憶のある飲食店、路地etc.
でも見つからなかった
何度も記憶の場所を回り、家々の表札も確認したけれど無い
もしも会えたなら、H田さんに詫びたかった
そして叶うならばN田さんに手を合わせたかった

H田さんもN田さんも、私があの職場で苦しんでいるときに力になろうとしてくれた人たちだ
N田さんは、あの頃自分の方が辛かったはずなのに、私に助けの手を差し伸べてくれた
でもあのとき私は素直にN田さんの手を掴めなかった
N田さんの厚意を素直に受け取れなかった
そして、N田さんは自裁した

N田さんの大きなだみ声、大きな背中を忘れたことはない

N田さんを息子のように可愛がっていたH田さん
N田さんが亡くなったことを知ったあと連絡を取った
言われたのは「N田のことも、俺らのことも、港のことも全部忘れや。あんたは前に進め」
その後、電話をしても年賀状を送っても返信はなかった
いまもずっと詫びることができないまま、忘れることもできないまま

Y岡さんは私と同年代で30前後に父親の急逝で跡を継いだ
私はずっと彼のことを尊敬していた
自分の持てる力でなんとかサポートしたいと思っていた
だからよく彼の工場に顔を出すようにしていた
私があの職場を辞めるとき、彼の工場に潜在的リスクがあることは分かっていたしその対応方法も検討していた
だが、対応よりも前に私の心が壊れた
結果として私は彼を見捨てた
それもずっと心残りだった

工場があったはずの場所には全く別の会社名
周辺をどれだけ探しても彼の名字の表札は見つからなかった


私が逃げ出した、逃げ出さざるを得なかったあの職場
でも逃げ出したことで、私は多くの人を見捨てた
その現実
今回は、今回こそは同じ過ちを繰り返したくない

今の職場で働くようになり、15年近くの時間が経ち、最近私の中の時計の針がやっと動き出したと感じている
あの頃の私と今の私は違う
そして私の周囲の人々も環境も全く違う
今度は見捨てない、逃げ出さない
やれるだけのことを全力でやりきる

参議院選挙・投開票日

 7月も下旬になった
今月最初のブログ更新

まずは…
まだ課題図書を読めていない
自分に課した課題をクリアできていないとは、情けない
読まねばと思いつつ他のことに忙殺されている
言い訳だらけでこれまた情けない

今日は3年に一度の参議院選挙・投開票日
結果は決して楽しいものにはならないだろう
私が記憶している国政選挙で投票率が上がった回はというのは、たいてい後から振り返ったときに「あのときのフィーバーは何だったんだ...」となるパターンだから
「山が動いた」のときも、細川政権誕生のときも、郵政解散も民主党旋風も

それでも、投票率が上昇するのは喜ばしいことだと思う
一度や二度の安易な(ノリでの)投票行動は、民主主義のコストとして許容すべきだと私は考えている

ただし問題は、フィーバーに乗っかった有権者が「政治家に裏切られた!」ではなく「なぜ私(僕)はあのとき彼らに投票してしまったのか?」と自省してくれれば良いのだが
たいていのフィーバーに乗っかるような無党派層は「自分たち有権者=無謬」「何か気に入らないことが起きた原因=政治家・官僚の責任」にしてしまうからなぁ

愚痴しか出てこない参議院選です

休もう

明日で6月が終わる
半年分の記憶がいまいち残っていない
この6カ月間、何してたんだったっけ?

よく思い返せば去年の七夕以降の記憶がほとんどない
七夕に上の子(黒猫)の癌を宣告されて、そこから今まで走りづめだった気がする
そういえば文雄の退陣表明にショックを受け、聖地巡礼の名のもと鶴岡旅行の予約を衝動的に入れたのが8月14日だったような…
上の子の体調が一進一退だった頃、同じチームの仲間が次々と辞めていった
あれが10月11月
今の事務所ではじめて持たせてもらった担当先が店舗閉鎖することになり、事務所のメンバーでお邪魔して飲み会したときの写真を見ると、懐かしくて泣きたくなる

いろいろなことが立て続けに起きた1年間だった

最近、上長sからも周囲の人からも「休め」とよく言われる
休まなければと自分でも思う
ただ、休みを取ったところで要らん考えで眠れなくなるだろう自分がいる
仕事をしていれば過去の自分のことを振り返らずに済むから
過去に追いつかれないため、過去に引きずり込まれないため仕事をしている

それでも、これから先いまの事務所で(そしてこの業界で)長く仕事をしていくためには❝休む訓練❞が必要だと分かっている
お客様のために脳をフル回転できるよう、脳みその容量を空けておかなくてはいけないしデフラグも必要
一旦再起動をかける時期なのだろう

来週は金曜日から4連休の予定
とにかく休もう

9.11後の世界

「どうあっても世界を二分したいか!大西洋連邦は!敵か味方かと!そしてオーブは、その理念と法を捨て、命じられるままに、与えられた敵と戦う国となるのか!」
「連合と組めば、プラントは敵。プラントと組めば、連合は敵。例え連合に降り、今日の争いを避けられたとしても、明日はパナマの二の舞ぞ!」


ガンダムSEEDを知っていれば(或いはスパロボをプレイしたことがあれば)ピンとくる名言

ガンダムSEEDが放送されたのは9.11の後だった


9.11から25年が経ち、あのときアメリカ合衆国の集団ヒステリーを止められなかったことを後悔している
「テロとの闘い」と言えば国際法を曲げても人権を蹂躙しても許される社会を作ってきたし、NIMBYで目を逸らしてきた
結果として、いま国際法は無価値に等しくなっている
力の論理がまかり通るようになってきた

日本国憲法が成立する前提は何か?日本がいまの日本のままでいるために国際社会はどうであらねばならないのか?

未来を考えたとき、絶望に近いものを感じる

我々の未来はオーブなのかもしれない、と


日本国憲法前文
❝(前段略)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。❞

甘えと悔しさ

読書記録はまたも後回し
相変わらず仕事に追われています
今日もいつも通りの土曜日出勤
今年に入ってから何回目の土曜日出勤だろう?
(一応先週は土日連休を取りました)

今日はボスに報告しなければならないことが多くて参りました
お叱りを受けても仕方がないレベルのやらかしばかりで自己嫌悪
うちのボスは怒らないかわりに静かに原因や理由を尋ねてくるタイプ
あれが一番堪えるしキツイし凹む

①源泉税でのやらかし、②来週の打合せ内容を詰め切れていない(無駄足になるかもしれない)問題、③月次決算書での指摘事項漏れ、④役員任期の確認漏れ、⑤法人申告の検討内容etc.
さすがにこれだけ一気に噴き出すと、自分の能力の無さ加減が嫌になる
20代の頃だったら、自分の無能さから目を背けるために職場から逃げ出していたでしょうね

今後に向けては、
①の源泉税でのやらかしは週明けに先方報告し対処するしかない
②の件は先方ともう一度事前すり合わせが必要
④は自分の知識不足と前任者のデータ更新漏れの合わせ技だったので今後改善するしかない

悔しいのが③と⑤
③は自分の判断材料が金額の過多だけになっていたせいで起きた事象
金額は小さくてもイレギュラーな取引は指摘すべき、との考えが自分の中に無かった点が悔しい
⑤の検討内容は細部まで詰め切れなかった点が悔しく腹立たしい
検討時に判断が揺れ続けたのだけれど、結論が固まったあとで再度頭から見直すべきだった
「もうこんなもんで良いだろ」という甘えが自分の中にあったとしか思えない
仕事に対する甘えた姿勢を瞬時にボスに見破られてしまった

自分の仕事を振り返ったとき、チラチラと自分の仕事に対する甘えが見えるわけで
そしてそれは大概ボスに見破られるのです
1,2カ月に1度くらいの頻度で起きる定期イベント
毎回毎回のたうち回るくらいに悔しく、夜寝るまでずっと引きずる
(だいたい1週間くらいは頭の隅っこでグダグダ考えるタイプなのですよ)

明日は貴重な休日だけど、一日中この悔しさと向き合いながら過ごすのか…
最低な日曜日になりそう

人生の山場(?)

 昨年の今時分コロナに初感染し、それと同じタイミングで愛息(黒猫)も食欲不振に陥った。
結果的にあのときの食欲不振はリンパ腫の症状だったわけだけれど、あの頃はてっきり私のコロナが猫に感染ってしまったのだと思っていた。
その後7月7日にガンの疑い濃厚と言われセカンドオピニオン用の大きな動物病院を紹介された。
あのときはとにかく愛息のことしか考えられず、有給休暇を使ってでも病院に行くことにした。休暇取得願に「ペット通院のため」と記載して提出しても何も言わず認めてくれた副所長には、どれだけ感謝してもしきれない。
愛息の通院は毎週末の恒例行事になり11月30日まで続いた。12月7日も予約を入れていたけれど通院できる体力がなくなっていて断念。翌週の週末、私がずっと傍にいられる日を狙っていたかのように旅立っていった。
あの子が傍にいない喪失感は半端なく、喪失感をごまかすため仕事に邁進している側面もある。
それでも日にち薬で少しずつ回復してきていた。先週金曜日の夜までは。

先週金曜日の夜、父からの手紙を読んだ。

7年前、背骨を骨折し立ち上がることすらできない母の介護の件で「僕も体が辛いのに」と騒ぎ「せっかく娘が同居しているのに何で僕がやらなあかんの」と拒絶したことで母から三下り半を突きつけられた父。
それまでも私に対して暴言は度々あったが、母から離婚を求められ自宅(母方の遺産)からの退去を求められた際(なぜか)私に言った言葉は最大級の呪いだった。
「お前のせいで僕は離婚させられる。お前がいるから僕はこの家から追い出される」と。
私は実の父親から明確に存在を否定された。
この7年間、一生懸命父の存在を忘れようとしてきたし、実際に忘れつつあった。
父からの暴言も暴力も遥か彼方の出来事になりつつあった。
それなのに…

父から母にあてた手紙には自身の苦境だけが書き綴られていた。
40年近く連れ添った相手の体調に対する気遣いも、たった一人の娘に対する思いやりも何もなかった。
金を貸してくれ。月末にも24万円返済しなければいけないが、ひとまず1週間以内に15万だけ貸してくれ。返すあてはあるから大丈夫だから貸してくれ。
要件はそれだけ。あとは自分の体調がいかに優れないか、それでもどれだけ我慢しているかを切々と訴えていた。

あれが自分の父親。
逃れようのない事実。

繁忙期を乗り切ったばかりで体力的に限界のなか、精神的にもかなりのダメージを受けている。
おそらくこれまでの人生の中で最大の山場。
乗り越えた先に明るい未来があると信じて一日一日を過ごしていくしかない。

言い訳

 先月(5月)の読書記録対象図書『吉田茂と岸信介』を読み切れていない。
現状の読了範囲が前半2割程度で、6月中に読書記録をアップできるかどうかといった感触。

言い訳をすると、公益系の法人決算・申告と母の体調悪化、自宅の建替え準備etc.ゴールデンウイーク明けから休みがほとんど取れない状況だった。
昨日(5月31日)、ようやく担当法人の決算書レビューが完了して人心地ついたところ。
まだ申告期限を延長している法人の法人税・消費税等の申告が残っているし、行政への書類提出が数件残っているので、本当の意味での完了とは言えないのだけれど。

ちなみに、今月下旬からコーチングを受けるので思っていたほど時間の余裕は無いかもしれない。
いま私にくっついて眠っているキジトラ君にまた寂しい思いをさせることになる。恨まれるだろうな…

6月中には5月対象図書の読了と読書記録のアップを行う。
それに伴って6月の対象図書は無しになる。
過去の自分自身に、約束を守れなくて申し訳ない。

生き方

 最近、またサクラ大戦の曲をよく聴くようになった
(BlueSkyを見ている方はご存知でしょうが、私がサクラ大戦を聴くときは精神状態があまり良くないのです)

歌謡ショウの曲を聴きながらふと気付いた
この曲を作っていた頃の広井王子は、今の自分と同じくらいの年齢だったのだと
サクラ大戦にハマっていた頃は40代半ばなんて随分な大人だと思っていたが、自分がその年齢になってしまえば20代の頃と大して変わらない精神性
成長とは何なのだろう?

とはいえ「不惑」とはよく言ったもので、実際40を過ぎてから自分の中のじゃじゃ馬を飼い慣らせるようになってきたのも事実
単に精神的に暴れまわるほどのエネルギーが無くなっただけかもしれないが

話を戻そう
40代半ばの頃の広井王子が作った歌を聴きながら「自分にこれだけの言葉があるだろうか?」と考えた
いま出てくる言葉はこれまでの生き方の現れ
20年後に使う言葉はこれからの人生の積み重ね

プロデューサーであれサムライ業であれ、問われるのは自分という人間そのもの
これまでの生き方、いまの生き様をさらけ出してお客様と向き合うしかないのだろう

繰り返されること

 事務所の仲間がまたひとり、今月末で退職する
昨年は10月、11月、12月と3カ月連続で退職者が出た
今年に入ってからは3月、4月、5月と続いている
何とかしようと私なりに模索し、上司にもいろいろと言ってはいるが止まらない

上司たちも手探りで状況の改善に努めている
ボスは以前に比べて積極的に挨拶をするようになった
以前よりも大きめの声で、誰に対しても「おはよう」と声をかけている
副所長も以前より柔らかく対応するよう努めているのがわかる
できるかぎりにこやかに、穏やかにと
ひとりひとりが変わろうとしている

ただ、溜まり続けた膿のようなものがなくなるには時間がかかる
膿は次の膿を生む
排出するスピードが速いか、それとも膿むスピードが速いか
事務所の一人一人の心の中のせめぎ合いの結果が、事務所全体の方向を決めていくだろう

なんとか踏みとどまれるよう、私も常に葛藤し闘っている

トラウマ

 私のBlueSkyアカウントから来た人は知っていることだが、私はある種の犯罪被害者だったりする
正確には幼少期に誘拐(既遂)被害も受けているので、犯罪×2被害者なわけだが

5月はちょうど被害を受けた時期と重なり精神的に厳しい
被害を受けたときとかけ離れた状況であってもふいに思い出すことがある
思い出してしまった日はなかなか寝付けず、どうしても睡眠不足気味になる
いま多くの会計事務所がそうであるように我が事務所も繁忙期真っ只中
睡眠不足は一番の敵なのだが…

上司たちには私の犯罪被害について報告していない
報告したところで対応に困るだろう

いまはただこの季節が過ぎ去ってくれることを祈るのみだ

5月の予定

 4月の予定であった『桜とは何か』の読書記録を端午の節句にようやく完了

5月は公益法人の決算・申告を複数抱えていることもあり、読書記録の対象を自分の興味関心が強い分野にする
本籍が政治クラスタ・政局界隈(住民票は税務クラスタ)のため、次の読書記録は『吉田茂と岸信介』安井浩一郎・NHKスペシャル取材班著(岩波書店)

端的に言えば保守本流VS保守傍流(自民党傍流VS自民党本流)の話
もととなったNHKスペシャルは戦後70年の記念で製作されたものなので、10年前の作品となる

この10年間で社会は大きく様変わりした
いつまでも続くように思われた安倍官邸はコロナウイルスによって自主退陣し、その後を受けた菅義偉内閣も1年で退陣
自民党内で完全に隅に追いやられていた保守本流・宏池会による本格政権が30年ぶりに誕生したかと思いきや、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発
国内では安倍晋三暗殺事件により30年ぶりに統一教会の霊感商法がクローズアップされ、新興宗教による被害が注目を集めた
政治とカネの問題もリクルート事件以来35年ぶりに自民党を大きく揺さぶっている
まるで昭和の末期から平成初期をなぞるかのように
(湾岸戦争・合同結婚式・リクルートコスモス)

ただし30年前と大きく違う点がある
30年前、世界は民主化に沸いていた
鉄のカーテンが開き、東欧は民主化され、ソヴィエトは崩壊した
天安門は鎮圧されたが、韓国や台湾の民主化を見ていれば中国もいずれは民主化されるのではないかと思えた時代だった
いま世界は全体主義に覆われつつある
‟効率”の悪い民主主義よりも意思決定効率の良い独裁を求める民衆が増えている
それは「自由からの逃走」をするかのようだ

10年前のNHKスペシャルで描かれた世界と何が変わり何が変わらなかったのか
それを確認する意味で読了し記録をつけたいと思う

『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』

感想をまとめると以下の2点
1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的
2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実に向き合い‟物語”を越えていく作業なのだろう


1. 中国における花と日本における花の対比
本書で紹介されていた詩の中で最も印象に残ったもの、それが元稹の「折枝花贈行」
 桜桃花下送君時
 一寸春心逐折枝
 別後相思最多処
 千株万片繞林垂
著者はこれに次のような訳をつけた
 桜の花の下で別れる君を送る
 一片の春の心が折られた枝を追う
 別れた後の想いこそが最も深い
 千本万片の花が林を覆って垂れる
現代の日本に通じる花の愛で方を唐代の中国でも行っていた証拠として紹介されている
著者は日本語圏の桜に強烈な魅力があることを認めつつ、だからといって「そこに何かの必然性や絶対性、あるいは神秘性を求める」行為を否定する
あくまでも、日本における桜の特異さや独異さは経路依存性の効果にすぎないとする
同時に著者は、意味づけの形式にすぎないと仮定することによって「人々が桜にかけた具体的な気持ちや想いを、より明晰な形で感じたり知ったりすることができる」と考える
そこで出てくる事例が花鎮祭だ
なぜ花を鎮めなければならないのか?
そもそも花(=桜)が散る時期とはどのような季節だったのか?
江戸時代以前の人口データから見えてくるのは春が人の死にやすい季節だった点だ
千葉県松戸市の本土寺というお寺の過去帳を調べた研究によると「死亡は旧暦の春から初夏に集中しており、逆に晩秋から初冬には死者が最も減るのである。……食料が底をつく端境期に生命を維持できずに死亡する人がきわめて多く、それが中世の地域を生きる人びとの一般的なあり方だった」「五月は明らかな死亡率の低下が認められるという。これは夏麦の収穫月であり、その収穫により飢えが一時緩和されることになる」(湯浅治久『戦国仏教』182頁、中公新書、2009年)
春の死亡率上昇は、飢え・栄養状態だけの問題ではない
春は人間が活動的になる季節だ
体力(免疫力)の落ちた人間が多くいるうえに、その人間が活発に動き出せば感染症は拡大する
「桜の花は(中略)文字通り生死を分かつ時間の到来を告げるものでもあった。」「根元に本物の死骸が転がっている。そんな年も何度もあったはずだ。」
「むしろそのことがさくらを「外なる内」にしつづけた要因の一つだったかもしれない。」
「だから、桜の春は怖しいものでもあった。だからこそ、桜の花は畏しいものでもあった。中世の人々が桜に向けた痛切な想いはそのようなものだったと思う。」
「牡丹の花の美しさが「内の内」から異次元へ突き抜けるような何かだとすれば、日本の桜の美しさは「外」から襲いかかるような何かでありつづけた。」
著者はこのように想像する

コロナ禍で人の姿が絶えた街に咲く草花、特に桜の美しさを見せつけられたばかりの今ならば、その禍々しさがよく分かる
街のあちこちでひっそりと感染症に苦しみながら人が死に絶えていく異常さのなか、例年と変わらない美しさを見せつけた桜を覚えている今ならば、桜の持つ外部性を意識できるだろう


2. 学問とは
本書で書かれている通り、この本は周辺データを可能な限り集めた上で組み立てられた「仮史」である
仮説的に構築された論理であり‟正しい歴史”と呼べないのは確かだ
そして歴史学と呼ばれるものはたいてい「仮史」に周辺事実・文献の批判的検証を加えて‟より確からしい歴史”を探す作業だ
その味で「ありうる」歴史を「ありうる」歴史として提示している本書は歴史学の本だとも言えるだろう

私は所属こそ経済学部であったものの、ゼミナールが社会思想史研究という名の歴史学にも足を突っ込んだところだった
ゼミで最初に読んだ本はアナール学派について書かれた新書、担当教官(恩師)は大塚久雄の孫弟子で専門はナポレオン3世時代のフランス経済
当時新しい歴史教科書をつくる会の活動が活発になってきていた時期だったこともあり、ゼミの雑談の中でも「歴史とは何か」「歴史学とは何か」を話す機会が多かった
大河ドラマを歴史の再現ドラマだと捉える人、司馬史観を「正しい歴史」と捉えたり歴史学と並べて語る対象だと考える人など、歴史学は常にフィクションからの浸食が多い学問との認識があったためだ
人は曖昧で不確実なものを嫌うが故に唯一の「正史」を求める
しかしそれは学問としての歴史学ではない
本書の中で著者も指摘している
「物語られる歴史はつねに甘く、優しい。不安な心を宥めて、癒してくれる。意味が砂山のように崩れていくのを、押しとどめてくれるように見える。(中略)そのために科学的な知識や歴史的な事実を無視してまで、「ありたい歴史」が語られてきた。」
この指摘は桜語りだけに当てはまる話ではない
起きたこと、起こしたことを教え・学ぶ教育を指して‟自虐史観”だと言い、より‟誇らしい”歴史を教えるべきだとする考え方が広まった(恩師曰く「自慰史観」)
国内だけを考えるならば歴史をつかって自ら愛撫だけしていれば良い
それ(‟自慰史観”)によって周囲の国々、あるいは同盟国との関係に溝ができたとしても、自らが癒されることの方が優先されるべきだと考える人がいてもおかしくはない
ただしそれは学問ではない
学問を学ぶ(大学で学士号を取得する)意味とは、自らの感情・感傷を乗り越えて事実と向き合い‟より確からしいもの”に向かって行く姿勢を身に付ける点にあると私は考える

『町の本屋の御書山さん』

 弾みでKindle版を頼んでしまい、流れで全巻(3巻)読了。
本屋大好き人間として、本屋でこんなほんわかした人間関係があったら良いなぁと思える漫画だった
御書山さんと不破くんの何とも言えない距離感も甘酸っぱくて。
高校時代の同級生(中学3年間同じ塾だった)Nくんを思い出すなど、懐かしさをくすぐられた。
GWはセンター街のジュンク堂にでも遊びに行こうかしら。



『桜とは何か』の読書記録が遅れている。
昼休みを利用して読む予定が、仕事に追われて半分ほどしか読めていない。
祝日を利用して読了、記録をつける予定。

馴染みの方へ

 SNSからお越しのお馴染みの方へ
Twitter時代、Mastodon時代を経てこちらにお越しの方
ようこそいらっしゃいました

このブログでは「甘利」だとか「葉梨」だとかは使いません
比較的硬めのスタイルでやっています
適当に思いついたことを書くのは青空でやりますので、あちらでのお付き合いをよろしくお願いします

26年

週末、26年ぶりにTさんと会った

そもそも今回の再会のきっかけは昨年末に開催された高校の同窓会
同窓会(同期会)の案内が届いたとき、ちょうど飼い猫(上の黒猫)の闘病末期でいつ看取りが必要になるか分からない時期だった
猫の看取りを優先したかったこと、仕事も詰まりはじめていたこと、某市議をやっているM氏と顔を合わせたくなかったことetc.
同期のグループLINEにだけ登録して欠席した

同期グループLINEの参加者にTさんの名前を見つけたとき、ただただ懐かしかった
中学・高校と6年間同じ学校で過ごしたが、同じクラスになったことは一度もなかった
接点は中学時代の剣道部だけ
彼女が私にどういった感情を持っていたかは知る由もないが、私はずっと畏怖に近い何かを感じていた
同じ一人っ子で、剣道を中学から始めた点も同じ、中学1年時点の背の低さも同じくらいだったが、勉強の出来は彼女の方が良かった(中学3年間で彼女はぐんぐん背が伸びて私は置いてきぼりをくらった)
人とのコミュニケーションの取り方もスマートで、人付き合いも上手かつ丁寧
嫉妬を覚えることすらできないほど、彼女は欠点の無い完璧な人間に見えていた
そんな彼女とは高校の卒業式を最後にずっと会っていなかった
人生で重なる時期もあれば離れる時期もある
26年間は離れる時期だったのだと思う
今回、私の方から彼女に連絡をとった
彼女が仕事勤めの傍らコーチングも行っていると知ったからだ

話は変わるが、私の担当しているお客様にコンサルタントをされている方がいる
その方が以前うちの事務所のHP投書欄にこのように書かれていた
「経営上の問題解決も現場がその気にならなければ絵に描いた餅」
「現場がその気になる手法として、コーチングやKJ法、ファシリテーション…(後略)」
私は一従業員にすぎないので「経営上の問題解決」などできるわけではない
だが、いま事務所内に大きな不協和音が響いていることやそれが人材不足に拍車をかけている点に心を痛めている
ならば自分ができることをできる範囲でやらなければいけないだろう
(それが経営陣の不興を買うならば、そのときはそのときだ)
コーチングで何ができるのか、調べてみても今一つよく分からなかった
ならばその道のプロに聞いた方が早いと思いTさんに連絡を取ったのだ

26年ぶりに会った彼女は歳を重ねた以外、何も変わっていなかった
もちろん今の仕事・勤め先でのポジション等で色々と人生分の❝重み❞は増していると感じたが、シルエットも話し方も凛とした佇まいも昔のままだった
食事をしながら4時間近く
26年間何をしてきたのか、お互いの業界の状況、人手不足に対する愚痴、社会・政策について思うところ等々
うちの事務所の状況も、私の見えている範囲のことを話した

彼女の行っているコーチングはトラストコーチング
どういった事を目的とするのか聞きながら、ひとまず私が受けてみて体験するべきだと思った
それが事務所にとってプラスになるかどうかは分からない
それでも今の状況を少しでも変えていくために役に立つのならば、やってみる価値はある

コーチングの開始は6月下旬
手持ちの仕事のピークが5月末から6月上旬に来ると想定しての日程
それまでに事務所の状況と私の心身が崩壊しないことを願いながら

「守る」とは

ここ数週間、手を取られ続けていたお客様がいた。
そのお客様への対応のために休日出勤が必要となり、また他のお客様への対応が後回しになっていた。
状況は当然上司にも報告し、休日出勤の許可を得て対応していた。

先週ようやく終わりが見えてきたところ、上司からそのお客様との契約破棄を伝えられた。
先方の意向ではなく、こちら側からの契約破棄である。
まだ事務所内で公表されてはいないもののいずれは明らかになる話。
同僚(といっても役職持ち)にその話を伝えた。
彼から返ってきたのは「良かったじゃないですか」だった。
確かに客観的に見れば❝良かったこと❞なのだろう。
手だけかかり、実入りは少なく、そして疲弊だけしていく❝作業❞。
そういった❝面倒ごと❞から解放されたと受け取るべきなのかもしれない。
それでも......

お客様を守れなかったとの思いが拭いきれない。
自分の甘さ、心の中にあった状況への甘えを今突きつけられている。
お客様を「守る」ために自分は精一杯努力したのか?
真剣にお客様と向き合ってきたのか?
状況に甘え忙しさを理由にして適当に付き合ってきたのではないか?
ときに厳しいことも言わなければいけない、ときに相手を怒らせてでも喧嘩をしてでも指摘しなければいけない。にもかかわらず、それを避け自己保身のために❝優しい❞ことだけ言ってやり過ごしてきたのではないか?

正解は単純なものではないのだろう。
上司には上司なりの理由があって契約破棄を決定したと分かっている。
経営判断の中で新規顧客への対応も考えていたはずだ。
全体を見ての判断だからこそ、一従業員の立場で何かを言えるはずもない。
ただ私自身の今後を考えたとき、今回の悔しさは忘れたくない。
だからこそ、このブログに書きとめておく。


追記
このお客様との一件だけをもって「守る」ことを考えたのではない。
別のお客様からお尋ねのあった件を上司に相談した際の上司の厳しさ、原則を揺るがせない姿勢を見て思い知らされた。
お客様を守るというのはどういうことなのか。
自分が❝いい人❞であろうとしてはいけない。それが伴走者の役割・務めだと。
自分の中にある「❝いい人❞でいたい」欲を乗り越え、ときに恨まれ嫌われても伝えるべきは伝えなければいけないと。
そして伝えるべきことを伝えるためには、それだけの知識・経験の蓄積が必要なのだと。

ありきたりなこと

 この時期の常ではあるけれど、どうしても書いておきたい
出会いがあって別れがある
新しい職場で働くようになって1年3カ月
何人も辞めていき、その度に別れが辛かった
新しい人が入ってくるワクワク感よりも、辞めていく彼・彼女たちの心のうちを考えてしんどかった
おひとり(或いは2人?)を除けば、未来を夢見ての退職ではなかったはずだ


今月末、一人の子が退職する
入社当初隣の席でいろいろと所内の手続きや流れを教えてもらった
癖のある子だとは思う
まだまだ精神的に子どもだなと思う部分が多々ある
本人としては社会人らしく振舞おうと頑張っているのだろうけれど、それが社会の求める水準に達していないのだと思う
私自身が彼女の隣の席であることに耐えられず、上司に席替えをお願いした
だから他人を非難する資格などない

だからこれから書くことは懺悔だ
「もしかして...」と思いながら、自分の不快感を優先して彼女に手を差し伸べなかった自分の非道さを忘れないための殴り書きだ

ヤマアラシのジレンマ
昨年の12月頭くらいだったか、彼女が事務所の雰囲気に怯えていることに気付いた
怯えているからこそ、事務所の空気・雰囲気に負けまいとして敢えて強気に出ているのだな、と
そして無理に強気に出ることで更に孤独感を深めている、と
本当は誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしいんだろう、と
「ちゃんと成長しているね、えらいね」と認められたいんだろう、と
だが私はそれを言わなかった
それをするのは私の役割ではない、と線を引いて逃げた
私が話しかけると彼女は怯えるから、彼女は泣きだすから、だから私は接しない方が良いのだと言い訳をして、見て見ぬふりをした
あの頃の事務所の空気・雰囲気・陰口を思い出したとき、彼女の絶望感はどれほどだっただろうと思う

彼女はまだ20代半ば
これから先いろいろな人に出会うだろう
うちの事務所で起きた嫌なことは10年もすれば忘れていく
陰口やそれを言った人達のことなど、数年で記憶の遥か彼方に消え去るだろう
学んでよかったこと、反省したこと、出会えてよかった人、感謝することetc.
未来につながることだけ反芻して、前を向いてうちの事務所を❝卒業❞してほしいと思う

何もしなくてごめん
そして、ありがとう

復帰

2年ぶりのブログ更新。
誰も見ていないとはいえ、さすがにサボりすぎと反省する。

一昨年の半ばからずっと走り続けてきた。
本を読む量も極端に減った。読む本も所謂ビジネス書と呼ばれるものが多くなった。
新聞は紙を広げて読むスタイルから電子版メインになってしまった。
人としてどうだろう?と思いながらも、自分に言い訳をして今の暮らしを続けている。

大学時代の恩師・小田中直樹先生から言われた言葉をかみしめる。
「古典と呼ばれる本、思考を深められる本を読めるのは大学生のうちだけですよ」
「社会人になればビジネス書や仕事に必要な本しか読めなくなりますからね」
ヒトラーの『我が闘争』やダーウィンの『種の起源』が経済学部生の読むべき古典だったかはさておき、今となっては読んでおいてよかったと思う。

私の場合、幸いにして資格試験の受験専念期間があった。
そのときウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』を読む時間がとれた。
読んだからどうだったというわけではない。何かを得たと言えるほど読込めたわけでもない。
それでも教養として「ウェーバーの本を読んだ」「思想のエッセンス的なものに触れたことがある」というだけで意味がある。自分の中にMax Weberという本棚の枠だけでも作っておけたのだから。(ゼミで『プロ倫』を読んだ以上、本棚はできていたのだが)


ということで、もうそろそろいい加減積読を減らしていかなければならない。
神野直彦先生の『財政学』(有斐閣)は体力のあるうちに読んでおかなければ一生読めない予感がする。
ハーバーマスから攻めるか神野直彦から先に手を付けるか悩ましいが......。

次の読書記録は、佐藤直樹の『桜とは何か』(河出新書)。
『不平等社会日本』『桜が創った「日本」』は大学時代に読んでなかなか衝撃を受けた。
今回どのような感想を持つのか、何を考えさせられるのか分からないが、落胆や反発しか残らなかったとしても記録として残したい。
今月末のブログ更新を目標に、まずは読了を目指す。


追記
加藤紘一著『テロルの真犯人』の読書記録は加藤の命日(重陽の節句)が近付いた頃に上げたいと思います。
もうこれ以上暴力によって政治的な目的を達成しようとする人間が現れないことを祈って。