4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』
感想をまとめると以下の2点
1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的
2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実に向き合い‟物語”を越えていく作業なのだろう
1. 中国における花と日本における花の対比
本書で紹介されていた詩の中で最も印象に残ったもの、それが元稹の「折枝花贈行」
桜桃花下送君時
一寸春心逐折枝
別後相思最多処
千株万片繞林垂
著者はこれに次のような訳をつけた
桜の花の下で別れる君を送る
一片の春の心が折られた枝を追う
別れた後の想いこそが最も深い
千本万片の花が林を覆って垂れる
現代の日本に通じる花の愛で方を唐代の中国でも行っていた証拠として紹介されている
著者は日本語圏の桜に強烈な魅力があることを認めつつ、だからといって「そこに何かの必然性や絶対性、あるいは神秘性を求める」行為を否定する
あくまでも、日本における桜の特異さや独異さは経路依存性の効果にすぎないとする
同時に著者は、意味づけの形式にすぎないと仮定することによって「人々が桜にかけた具体的な気持ちや想いを、より明晰な形で感じたり知ったりすることができる」と考える
そこで出てくる事例が花鎮祭だ
なぜ花を鎮めなければならないのか?
そもそも花(=桜)が散る時期とはどのような季節だったのか?
江戸時代以前の人口データから見えてくるのは春が人の死にやすい季節だった点だ
千葉県松戸市の本土寺というお寺の過去帳を調べた研究によると「死亡は旧暦の春から初夏に集中しており、逆に晩秋から初冬には死者が最も減るのである。……食料が底をつく端境期に生命を維持できずに死亡する人がきわめて多く、それが中世の地域を生きる人びとの一般的なあり方だった」「五月は明らかな死亡率の低下が認められるという。これは夏麦の収穫月であり、その収穫により飢えが一時緩和されることになる」(湯浅治久『戦国仏教』182頁、中公新書、2009年)
春の死亡率上昇は、飢え・栄養状態だけの問題ではない
春は人間が活動的になる季節だ
体力(免疫力)の落ちた人間が多くいるうえに、その人間が活発に動き出せば感染症は拡大する
「桜の花は(中略)文字通り生死を分かつ時間の到来を告げるものでもあった。」「根元に本物の死骸が転がっている。そんな年も何度もあったはずだ。」
「むしろそのことがさくらを「外なる内」にしつづけた要因の一つだったかもしれない。」
「だから、桜の春は怖しいものでもあった。だからこそ、桜の花は畏しいものでもあった。中世の人々が桜に向けた痛切な想いはそのようなものだったと思う。」
「牡丹の花の美しさが「内の内」から異次元へ突き抜けるような何かだとすれば、日本の桜の美しさは「外」から襲いかかるような何かでありつづけた。」
著者はこのように想像する
コロナ禍で人の姿が絶えた街に咲く草花、特に桜の美しさを見せつけられたばかりの今ならば、その禍々しさがよく分かる
街のあちこちでひっそりと感染症に苦しみながら人が死に絶えていく異常さのなか、例年と変わらない美しさを見せつけた桜を覚えている今ならば、桜の持つ外部性を意識できるだろう
2. 学問とは
本書で書かれている通り、この本は周辺データを可能な限り集めた上で組み立てられた「仮史」である
仮説的に構築された論理であり‟正しい歴史”と呼べないのは確かだ
そして歴史学と呼ばれるものはたいてい「仮史」に周辺事実・文献の批判的検証を加えて‟より確からしい歴史”を探す作業だ
その味で「ありうる」歴史を「ありうる」歴史として提示している本書は歴史学の本だとも言えるだろう
私は所属こそ経済学部であったものの、ゼミナールが社会思想史研究という名の歴史学にも足を突っ込んだところだった
ゼミで最初に読んだ本はアナール学派について書かれた新書、担当教官(恩師)は大塚久雄の孫弟子で専門はナポレオン3世時代のフランス経済
当時新しい歴史教科書をつくる会の活動が活発になってきていた時期だったこともあり、ゼミの雑談の中でも「歴史とは何か」「歴史学とは何か」を話す機会が多かった
大河ドラマを歴史の再現ドラマだと捉える人、司馬史観を「正しい歴史」と捉えたり歴史学と並べて語る対象だと考える人など、歴史学は常にフィクションからの浸食が多い学問との認識があったためだ
人は曖昧で不確実なものを嫌うが故に唯一の「正史」を求める
しかしそれは学問としての歴史学ではない
本書の中で著者も指摘している
「物語られる歴史はつねに甘く、優しい。不安な心を宥めて、癒してくれる。意味が砂山のように崩れていくのを、押しとどめてくれるように見える。(中略)そのために科学的な知識や歴史的な事実を無視してまで、「ありたい歴史」が語られてきた。」
この指摘は桜語りだけに当てはまる話ではない
起きたこと、起こしたことを教え・学ぶ教育を指して‟自虐史観”だと言い、より‟誇らしい”歴史を教えるべきだとする考え方が広まった(恩師曰く「自慰史観」)
国内だけを考えるならば歴史をつかって自ら愛撫だけしていれば良い
それ(‟自慰史観”)によって周囲の国々、あるいは同盟国との関係に溝ができたとしても、自らが癒されることの方が優先されるべきだと考える人がいてもおかしくはない
ただしそれは学問ではない
学問を学ぶ(大学で学士号を取得する)意味とは、自らの感情・感傷を乗り越えて事実と向き合い‟より確からしいもの”に向かって行く姿勢を身に付ける点にあると私は考える