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『桜とは何か 花の文化と「日本」』

 4月の読書記録・佐藤俊樹著『桜とは何か 花の文化と「日本」』 感想をまとめると以下の2点 1. 中国における花=「内なる内」としての牡丹、日本における花=「外なる内」としての桜、の対比は鮮やかであり説得的 2. 学問を学ぶということは、それがどれだけの苦痛を伴ったとしても、事実...

いつもの

日曜日
昨日退勤するときに事務所のPCの電源を落としたから、今日はリモート作業なし
もともと退勤時に電源落とす癖がついていたのだけれど、今年の社福決算でそのルーティンが崩れてしまい、それ以来ズルズルと仕事をするようになっていた

事務所を辞めるまであと半月ちょっと
「このままでは良くない」
「次の事務所にまでこの状況を持ち越すわけにはいかない」
そう考えてシャットダウンしてきた
(そのせいでボスにメール送るのも面倒なことになってしまって…ム〜😑)

今日もまた次男坊くんとのイチャイチャタイム
猫の時間感覚は人間の4倍らしいから、週イチのこの時間は彼の感覚では“月イチ”なのだろう
彼の残された時間を考えると本当に申し訳ない
お兄ちゃんほどとはいかなくても、彼にも穏やかで幸せに満足して旅立ってほしいと思っているのに…


先日ふと思い出したことがあった
まだ長男坊も生きていて、前の家に住んでいた頃の話
長男坊は家の長い廊下の真ん中にデンと座ったり、そこで寝そべったりするのが好きだった
風の通り道で適温だったのもあるだろうし、ちょうどその辺りが私の部屋の戸の前だったのもあると思う
そして次男坊はご飯前に興奮すると、そのお兄ちゃんを“お百度石”代わりにして廊下をぐるぐる往復するのが常だった

長男坊が亡くなってからこっち、ずっとそのことを忘れていた
次男坊の行動が変わったせいもあったし、私自身が余裕をなくしていたせいもあった
この2年近く、自分がどれだけギリギリだったかを痛感させられた


いつものことをいつものようにする
それがこれほど難しいのだな、と思う
いつものことをいつものように受け止めることも、実はこんなにも難しい
“当たり前の日常”などといっても、それは決して当たり前ではない
そんなことを考えさせられた日曜日


こうやって大切なもの・大切な人を想い続けられる日常を大事にしたい
いろいろなものが失われていくときだからこそ、この想いを抱きしめていたい
叶わなくても、想い続けること、そして自分の想いを信じ続けることだけは自由だから


















(2013年我が家にやってきた初日の長男坊)













(我が家にやってきて1月ほどの頃の次男坊)











(2014年次男坊がきて2ヵ月ほどが経った頃)

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